白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

喫煙者・喫茶店・貧困層

直球で書いてみよう。

俺は貧困層だ。行政の家計相談で、喫茶店と缶コーヒーとタバコをやめるように指導を受けた。そして発狂し、病状が悪化し、入院一歩手前まで行った。先月の話だ。

障害者就労継続B型という時給200円のブラックな仕事も辞めた。1日に使えるお金は限られている。しかし、つい喫茶店に入る。年金支給日前にお金が無くなりパニックになる。去年の7月から、友達に電話をしてお金を無心するパニックが何回かあった。

医者は簡単に「喫茶店は贅沢だ」と言う。しかし、私にとって一番充実した時間は、喫茶店でアイスコーヒーを飲み、タバコを吸っている時なのだ。これは文化だ。それとも、貧困層には、その程度の文化的生活も許されないのだろうか。

つい今しがた、生活保護を受給している友人から電話があった。喫茶店は贅沢だからやめるように言われた話をしたら絶句していた。食べること、飲むこと、それは生きるということでしょ、と言われた。喫茶店に行かないと息が詰まると。

いろいろな人がいる。いろいろな世界がある。タバコは喉の調子が悪いので控えようかとも思う。今週の金曜日には、また行政の家計相談がある。これも貧困ビジネスなのだろう。精緻なキャッシュフロー計算書を作ってくれる。絵に描いた餅。私は先月、家賃を滞納してしまっている。いったい、どんな計画が可能なのか。1日1食とかだろうか。

価値観や方法論の押しつけ。相談するとは、押しつけられると言うことだ。それは、真理などではなく、個人的な嗜好である場合が多い。

貧困ビジネスは、まずは貧困層を増やす顧客拡大から始まる。罠はいくつもある。その多くが、善意の団体を装っている。行政だってそうだ。ゆるやかに貧困になる手引きをしてくれるだろう。私も、この手口に引っかかって重篤な障害者になり、離婚した。

話のポイントがずれてしまった。大事なのは生きていることの喜びを感じる時間だ。それは人によって違う。喫茶店でコーヒーを飲む人もいれば飲まない人もいる。ただ、自分が飲まないからといって、飲む人にケチをつけないで欲しい。

酒も競馬も同じことだ。楽しみは人それぞれだ。放っておいてくれ。だいたい、日本人は過干渉なのだ。

ふむ、ずいぶんと歪な直球になったな。グダグダイズムらしいとも言える。2016年8月の1本目は、こんな感じ。