白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

過激な人生相談~コメント歓迎

今日のエントリー。ある有力なコーチにメールをしようかと思ったのだが、やめた。面識もないし、いくらかかるのかも分からない。それに、長くなりそうだ。

 

まずは現状を簡単に書こう。私はアッパーミドルから転落し、今は生活保護未満の障害年金で暮らしている55歳の男性だ。2年前に離婚し、5年前に会社を辞めた。今は仕事も、資産も無い。障害年金をもらいはじめ、精神障害者手帳をとったのは4年前。入院は2015年1月退院が最後で、今は通院と服薬で何とかしている。

 

いま一番の問題は貧困での生活に対応できないことだ。計画しても理性で出費をコントロールできない。具体的にはタバコがやめられない。喫茶店と缶コーヒーがやめられない。精神障害の症状である躁状態になると、有り金を全部使う。そして次の日にあわてて友達に金を無心する。そんなことを去年から何度か繰り返している。先月は遂に家賃を滞納した。支援してくれている父親も愛想を尽かしかけている。なお、父と母は10年以上前に離婚しており、父は再婚した。母は父の実家で一人暮らし。私と母は敵対関係にある。

 

行政の保護課から家計相談を紹介され指導を受けている。ヘルパーさんが週1回来てくれる。訪問看護が週3回。通院は週1回。自立支援だけでも年間200万円以上の恩恵を受けている筈だ。障害者センターという福祉の窓口にも担当者がいる。私の周りは福祉と医療で固められている。

 

治療目標以前の課題が生活の安定だ。1日2000円以内で生活すること。ご飯と納豆が推奨だ。これが出来ない。もう、今は1日1200円以内の計算になっている。どうするつもりなのだろうか。

 

いまの症状としては、自我の崩壊がある。家の中でワンワンと鳴いたり、ヒヒーンと鳴いたり、喚いたりする。そうでないときにも「自分」という感覚がない。医者は解離性障害の一種だというが、処方が変わるわけでもなく、入院にもならない。

 

結局のところ、貧困に適応することでしか自我崩壊は治らないというのが、私の出した結論だ。言い換えると、貧困への適応には自我の変容が、自己変容が必要だということになった。

 

さて、読者諸賢はこの話をどう思われただろう。自我の変容など可能なのだろうか。また、どうすれば可能なのだろうか。

 

そもそも、選択肢が無いとはいえ貧困への適応という目標はいかがなものか。関係者は口をそろえて、それで終わりではない。いったんは貧困で安定を、と言う。現状は、何に対しても興味が持てず、ドーパミンが出ることはない。(薬の影響もあるが)

 

思えば生まれてから今まで、私は我慢というものを経験していない。自慢に聞こえるかもしれないが、我慢が出来ないのだ。

 

なお、1年在籍した就労継続支援B型は先月でやめた。地域活動支援センター(地活)は、事件があり3月で契約解除になった。今は一日行くところも無く、昼も家で寝ている。小説を書く情熱も、詩を書く気分も生まれない。何かをやる資金もない。無気力、無関心、無感動。数十年前のしらけ世代のようだ。

 

はて、私はどうすれば良いのでしょうか?

どうか石は投げないでください。

よろしくお願い致します。