白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

「健康になって下さい」は残酷な発言

格差社会と言われているが、格差は経済的なものばかりではない。

格差の三大要素は、経済、健康、人間関係だ。

 

「健康じゃない人はあかんわ」

 

今日、言われた言葉。これは残酷だった。治る病気なら「早く良くなってください」と言っても良いだろう。しかし、治らない病気もある。明白な差別。貧しい人に、「お金持ちになってください」と言うのと変わらない。

 

予防介護というオカシナ言葉もあるが、まるで介護を受けるのが罪悪かのようにも感じられる。病気になるのも、貧困になるのも、自己責任ということななかと思う。

 

それにしても、不健康はそれほど悪いことなのか。

同様に、貧困はそれほどに自己責任なのか。

努力で解決できる問題なのだろうか。

 

貧困が馬鹿にされるのと同じように、不健康や病気も馬鹿にされるのだなと思った。そこには優越感と差別意識があるのだろう。困った人たちだ。

 

今日は、ある人から良い言葉を聞いた。

恩送り。

私が義について、誰のためになのかが分からないと言ったら、誰でも良い、目の前の困っている人を助けてあげれば良いと言われた。誰かから受けた恩を別の人に返す。これを恩送りと言うらしい。恥ずかしながら、知らなかった。

 

これから私は、恩送りの精神で生きようと思った。

 

無常、無我を心がけ空に生きる。それがやがて涅槃となる。その後に霊からの声が聞こえるかどうかは分からない。煩悩を取り払うために毎日、瞑想しよう。

 

話しを戻すが、病気の人に「気の毒ね」と言うのは失礼だ。不健康な人に「健康になってください」と言うのは残酷だ。いったいどこまで自分中心なんだ。

 

健康は素晴らしいというのは、文明の文法の一つだ。この文法を解体しよう。