白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

貧困が奪うもの

貧困は可能性を奪う。貧困は希望を奪う。貧困は活力を奪う。そんなことは私が書くまでもあるまい。それが現実だ。もちろん、例外はある。

貧困に対応するために、苦しいことは考えないようになる。現状に満足しようと思うようになるだろう。欲望を捨て、きれいな心で淡淡と暮らすこと。それは悪い事どころか良い事かもしれない。

ならば、貧しい人ほど心が綺麗だと言うのか。わからない。そんなデータはどこにも無いからだ。それよりも衣食足りて礼節を知るの方がもっともらしい。私は衣食が足りなくて礼節を失った。いや、社会に対する緊張感を失ってしまった。

仕事もない。趣味の集まりにも行けない。テレビもない。本を読む気力もない。やることと言えば瞑想だけだ。頭を空にする。こころの汚れを落として行く。煩悩を消す。

常識や言葉から遠ざかる。やがて、思考が消える。この、思考が消える感覚が心地よい。だから、毎日、瞑想する。

貧困になると、日常に変化が無くなる。交際費もないので孤独になる。貧困は人間関係を奪う。

社会に対する緊張感。思えば私は社会が嫌いだった。その意味では、社会から脱出したと言えるのかもしれない。私は貧困になることに成功した。

貧困になると、自尊感情が奪われる。いや、「崇高なる貧困に誇りを」と書いたのは私だった。これは人によるだろう。

貧困は栄養を奪う。貧困は健康を奪う。貧困は寿命を奪う。

貧困からの脱出が困難なのは、脱出する意欲が奪われているからという側面もある。

一般世界に魅力を感じないというのもあるだろう。そんなに働いて、何が面白いのかと。

貧困は好奇心を奪う。ただひたすらに、安らかに日常に埋没する。

それが悪い事だなどとは、誰にも言えない。この現実を、どうすれば良いと言うのか。出口はあるのか。

貧困は経済学、社会学、心理学の問題だ。いったい貧困とは何なのか。数字だけでなく、その実相を知る必要がある。私は貧困になって多くのものを奪われたが、得たものもある。それは安らぎだ。もう、守るものもなければ、失うものもない。それは言い過ぎか。