私は昔から瞑想家だった
2年と少し前、私は「新しい物語」という詩を書いた。
もう、人生に物語はいらない。喫茶店でアイスコーヒーを飲んで煙草をふかしている日常があればそれで良いと書いた。
私はいつも、そうしていた。本や新聞を読むでもなく、スマホをいじるのでもなく、ただぼーっとしているのが好きだった。いま思うと、これが瞑想だった。これが真我だった。
想念が乱れないこと。私は10代の頃から瞑想家だったのだ。
ただ、これが崩れることがあった。その要因が楽しさと忙しさだった。つい、何かに夢中になる。節度が守れなくなる。課題は熱狂の克服、節制ということだろう。
悟りを得てからも修行は続く。
瞑想家に終わりはない。