白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

人間を標準化する時代は終わった

明るく元気で、機敏でタフなパーソナリティ。20世紀には、こういうパーソナリティが持てはやされ、生来のパーソナリティとは関係なく、こういうパーソナリティを目指す動きがあった。教育もまた、特定の規範に従った人間を作ることに専心していた。その結果、増えたのがうつ病である。

精神病。そこでもまた、治療目標が規範に従うことであったりする。標準的な人間というものを想定し、その枠の中に人間を入れること。近年の発達障害などは、貴方は標準的な人間ではない治療の対象ですよという宣告だ。

しかし、人間を標準化しようとすればするほど、病む人が増え、標準から外れる人が増えた。

いま考えるべきは、人間に標準など無いということだ。一人ひとりが個性あるかけがえのないパーソナリティを持っているということだ。そこに優劣などない。優劣があると言うのは差別主義者だ。

時代は21世紀になった。精神科医療は大きく変化した。しかし、未だに標準化にこだわっている。つまり、精神科医療は時代遅れなのだ。もっとも、意識の高い精神科医はいる。健全な精神を持った医者もいる。しかし、圧倒的に少数派だ。

人間を標準化する時代は終わった。こう言い切れる時が来るには、まだまだ時間がかかりそうだ。