白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

残された時間は少ないのだろうか

別ブログで、コメントに貴方に残された時間は少ないかもしれない、と書かれた。ハッとした。のんびりと回復を待っている場合ではないのかもしれない。

残された力を振り絞って、小説「笑顔の監獄」を書くのか、書かないのか。きっと書く。既に執筆を再開しているのだ。

薬を変えてから高プロラクチン血症を脱したのか、ここ数日、射精に成功している。それが良い影響を与えたのか、感情とか感覚が戻りつつある。あとは、知能の回復だ。まずはインプット。本を読めるようになるのが、第一段階だろう。

生活が出来ていれば十分じゃないですか。障害者世界では、こういう会話が当たり前になされる。生活できていれば満足だって。冗談じゃない。私はもっと激しいものを求めている。そこにしか手応えを感じない。充実はそこにしかない。

私の関心は精神科医療と精神障害者世界に釘付けだ。「笑顔の監獄」は、この問題を正面から取り上げる。しかし、現段階では問題の整理すら出来ていないのだ。それでも、5万字書いた。あと10万字。そのうち、主人公が誰かもわからない、支離滅裂な小説が完成するのだろう。怖い話だ。

それにしても、私に残された時間は、どれだけあるのだろうか。コメントをくれた方は、命ではなく、抗精神病薬で脳がダメになると言っていた。いや、もう既にダメになっている気もするのだが。苦笑

精神障害者としての人生というレールに乗って6年。そろそろ、そういう人生のレールを降りる絵を描きたい。残された時間。生活しているというだけでは意味がない。少なくとも私は意味を感じない。贅沢だと言われようとも。