白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

至高の時。それは酒と煙草の時。

昔の私の至高の時は、喫茶店でアイスコーヒーを飲みながらの一服だった。そこには、テオリア(観照)があった。

しかし、貧困から喫茶店に行くのをやめた。お金がないから禁煙しようとしたら、精神科医に禁煙はやめましょうと言われた。

今の至高の時は、家でハイボールを飲み煙草をふかす時だ。喫茶店とどっちがお金がかかるか微妙だ。ハイボールは1本が、2本になり、3本になり、5本になるからだ。

ここで問題意識とか罪悪感に言及するようでは甘い。ポジティブ・シンキングで行こう。人生で、あるいは生活の中で、至高の時があるということが素晴らしいではないか。

もう、生産的なことには興味が無くなった。いや、能力が無くなったというべきか。もう歳なのだ。57歳だ。隠居で良いのだ。もう一花などと色気は出さない方が良い。疲れるだけだ。

酒と煙草をやめようなどと思うな。至高の時を失ってどうする。私は幸福に生きている。お金はないが、十分に満足だ。足るを知るとは、こういうことだろう。

この見解は、東京の友人との電話で出た話である。彼もまた、酒と煙草が至高の時だと言っていた。珍しい生き方ではないのだろう。

それにしても、2ケ月前は、禁酒、禁煙を考えていたのだから恐ろしい。生活の中で何が重要なのか。社会の通説を鵜呑みにする危険。素直に生きよう。