令和に思ふ
4月1日、エイプリルフールのこの日に、新元号が発表された。
令和
令和。
Rで始まる「令」は新鮮な好感触だが「和」は戦争を挟んだ異常な時代、「昭和」を連想する。色で言えば強い黄色と青。音は感触が良いが、色彩的な感触が悪い。
まあ、有識者が決めたことだ。私が何を言おうがどうにもならない。
ただ、私は日本の歴史が好きだ。万葉集も世界的に関心をもたれている日本文学の古典だし、元号を飾りのように論じた、日本のリベラルには愛想が尽きた。
とは言え、日本会議を支持する訳でもない。
私は政党政治とは一線を画し、知識人としての自覚を持って発言するだけだ。
告白しよう。私は品行方正の仮面を被った、品性下劣な変態だ。痛いのは嫌いだが、ドMなのは間違いない。
何を隠そう、数日前から男性機能が復活してしまった。しかし、昔のようにDH(デリバリーヘルス)を呼ぶお金もない。求めているのはステディなセフレ(セックス・フレンド)なのだ。巨乳より貧乳が好きだ。私は58歳のバツ2(離婚2回)で、今年24歳になる子供がいるが、東京にいる心の彼女RIPPは、それよりも若い。ここは、ルックスと浮浪者的異臭を改善して、お金のかから彼女を作るしかない。年齢は50代までOK。ただし変態で、喫煙者が希望。別居も条件の一つだ。
そういえば昔、躁状態の時に、元妻、Yに「悪い、俺には家族より人類の方が大切なんだ」と寝言ないし妄言を吐いた記憶がある。
今は3冊目の出版を計画しているが、一番大事なのは生活の安定であり、その基底は性生活にあるのではないかと、ふと今、思った。
閑話休題。
構成の歴史家は「令和景気」と呼び、令和2年の2020年は、世界史に名を残す、次世代文明の起点となるかもしれない。
それは、悲喜こもごもではあるだろうが、進歩と成長の世紀の終焉を意味する。21世紀は人間らしさの世紀にしなければならない。人間らしさについては、バートランド・ラッセルやイヴァン・イリイチの文献が参考になる筈だ。特に、ラッセルの「怠惰への賛歌」はネットでも読めるし、必読だ。賃労働は、1日4時間以下でないとおかしいのだ。これは石器時代からの生態人類学を構想した、マーヴィン・ハリスとも通底する。
学問とは、そういうものなのだ。
人類の起源が宇宙人なのだから、バシャール人からの「わくわく」することだけをしなさいというメッセージに耳を傾けるべきではないのだろうか。
「豊かさから、快適さへ、軽やかに跳躍せよ」と、私は言った。