白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

復活のシナリオを描くことは狂気なのか

前々回の精神科主治医診察で、私が貧困からの脱出ということを言うと、それは狂気に属するとして却下された。主治医としては、今のまま貧困で安定して欲しいのだろうが、私というパーソナリティは、どうもそれを許さないようだ。

貧困は5年ほど経験したが、得られたものは何もない。苦痛と屈辱。停滞と無活動。これでは、生きているとは言えない。

まだ、58歳。60歳までには復活したいと思う。もっとも、その前提が精神の安定と身体的健康にあることは言うまでもない。今の日常ではダメだ。意味のある活動をしないと劣化が進む。

具体的にどうするかとなると難しい。しかし、現状維持で安定というのは目標になり得ない。そのあたりは主治医と対決しないといけない。そして、主治医と対決する前に綿密なシナリオを描いておきたいのだ。

今の俺は狂っているだろうか。躁状態だろうか。客観性を失っているだろうか。

やりたいこと。その前に、精神障害を総括しなくてはいけない。私は貧困だけでなく、障害からも脱出したいと考えているのだ。やはり、狂っているだろうか。

明日は打ち合わせがある。敢えて、本音をぶつけてみる。ものわかりの良い障害者にはならない。堕落。そこに、ありもしない美学を見ていた。浮浪者。飽きてきた。すぐにとは言わない。何年計画でも良いが、3ケ月ルールは守ろう。

ケースワーカーは、のほほんと暮らせと言ったが、そうは行かない。

戦え。そこに意思がある限り。本能に逆らうな。居心地のいいぬるま湯に馴らされるな。