白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

障害と共に生きる

私は精神障害者である。今までは回復を期待して治療してきた。あるいは、絶望していた。しかし、今は違う。障害と共に日常を過ごすことが目標だ。思考力がない。集中力がない。そわそわする。そこから逃げずに障害と付き合う。さらには抗精神病薬の作用と副作用に付き合う。仕方ないな。こんな気持ちになって、まだ数日。障害を愛おしく感じるようになった。家の中で、ワンワンとかピヨピヨと鳴く。これがとても気持ちいい。躁状態鬱状態。発狂。いいじゃないか。ただ、パニック障害は困る。

私のパニック障害はいろいろある。もう、一人暮らしは無理だと弱気になる。入院願望、グループホーム願望が強くなりパニックになる。金欠パニック。過呼吸。頻脈発作。パニック発作はやばい。躁状態よりヤバいかもしれない。今は、躁状態になっても使うお金がないので、実害は小さいからだ。

今日、ヘルパーさんが言っていた。精神科の薬は治すのではなく、症状を抑えるだけですからね、と。その通りだろう。

いま、鬱である。死にたい。死ぬ方法も知っている。シアナマイドを100ml飲んで、それからアルコールを浴びるように飲めば、呼吸困難で死ぬだろう。間違っても救急車を呼んだりしないように、スマホは駅のゴミ箱に捨てておくこと。方法は知っているが、まだやらない。なぜだろう。わからない。

生への未練。障害と共に生きるという態度。可愛い精神障害者でも目指すか。力が入っているな。もっと脱力して良いんだよ。承認欲求があるのか。評価されたいのか。だから、しんどいんだね。そして、投げやりになるんだね。

障害を愛おしく思おうよ。躁エピソードなんて面白いよ。妄想なんて画期的だよ。しんどいよ。でも、それも面白い。運命なんだよ。遺伝子の悪戯。

俺なんてパソコンを落として、防衛省に電話したよ。軍事機密が漏洩しました。死んでお詫びします。慣れた感じで、死ななくて良いですよと言われた。

そうなんだ。死ななくて良いんだ。障害を愛でて、障害と共に生きる。それが良い。