父、黒崎勇の勤労観と社会観
父、黒崎勇。
甲南大学名誉教授。日独両政府から勲章を貰い、一時は名誉領事もしていた。
神戸日独協会をNPO法人にしたこと。ミュンヘン・オリンピックでNHKの通訳をしたこと。86歳のいまも精力的に文化交流に貢献するなど、活躍中である。
そんな父の教育方針は独自のものだった。欲しいものは何でも与えられた。百科事典。鉄道模型。釣りの道具。
そう言えば、中学生の頃、二人で砂浜にテントを張って夜釣りに行き雨が降って大変な目にあった。夏休みは、ほぼ1ケ月を避暑地である山中湖の別荘で過ごしたので、神戸の夏を経験していない。これで、お坊ちゃまと言わないで、誰がお坊ちゃまだろう。
そして、私はあまり怒られた記憶がない。主体性を重視し、完全な放任主義だった。
「俺は知らん。お前が決めることだ」
これが口癖だった。
私は50歳で定年扱いとなり、割増金を貰って黒崎玄太郎研究所を立ち上げた。
12年にわたる単身赴任。私はすっかり関西に馴染んでしまった。フリーランスで楽勝だ。驕りと甘さ。そこに、母が絡む事件があり、私は一気に転落した。
なお、父と母は長年別居していたが、21世紀に入り正式に離婚。父は再婚し、母は父の実家に住んだ。
そんな前置きは長くなるのでやめよう。
今日、父に会った。働けという。顧問や社外取締役など名前を貸すようなことはダメだという。それなら、パチンコ店のアルバイトの方が良いと真剣に言うのだ。勤労とは何か。仕事とは何か。独特の観念がそこにはあるのだった。
社会観も面白い。宇宙開発などにお金をかけて環境破壊をしている現状に怒りに近い憂いを持っている。
聞いたことはないが、どことなく、イヴァン・イリイチの思想に似ているように思う。
私が母を弁護士マターにして絶縁するというと、それはいけないと言った。横浜の叔父を個人情報保護法違反で訴えると言うと、そんなことをしたら絶縁だと、父は言った。
弟のことにも言及していたが、これは書かないでおこう。
私は、貧困層だが知識人だ。その自覚を、強く持とうと思った。