障害者が卑屈になる理由はどこにもない

世の中にはいろいろな人がいる。障害者の世話をするのが好きな人もいる。そして、卑屈な障害者を見て可哀想ねと同情するのだ。そういう私は障害者だ。ぜんぜん卑屈ではない。俺は障害者様だぞと威張ると、母は怒る。卑屈になれということだろう。障害者のことを何も分かっていないのだ。

おかしな風潮がある。厚生労働省の方針でもあるのだが、障害者の就労を推進しようという思想だ。制度もある。私はこれが健全な施策、健全な思想だろは思っていない。ワークフェアという考え方に基づいたアメリカ産の思想だ。成果と苦痛。これがセットなのだという。なんという低能さだろう。

日本の障害者福祉はキメ細かい。ただ、情報に疎いひとには何もない。私など、障害者貴族の部類だろう。まあ、何年も地獄を見てきたのだが。

身体、知的、精神。障害にもいろいろあり。そして、先天は後天かも大きい。障害者は障害者同士というが、先天と後天では話が合わないことが多い。

卑屈。まあ、いろいろな理由で卑屈になることもある。しかし、障害者だからと言って卑屈になる必要はない。ただ、そういう圧力を加えられることはある。負けてはいけない。

私など、俺は精神障害者様だぞ、と威張って、顰蹙を買っている。まあ、出入り禁止にならない程度には大人しくなった。伸び伸び、しみじみ、で行こう。