白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

精神疾患と家族と会社

私が精神障害者世界に入ってから、多くの患者と知りあいになった。仲良くなった人もいれば、嫌いな人もいるし、絶縁している人もいる。

さあ、50人の人生は聞いているだろうか。その中には想像を絶する壮絶な話がいくつもある。そんな事件があったら病んで当然だろう。そういう話がいくらでもある。

壮絶な両親。壮絶な学校。壮絶な会社。多くが被害者なのだ。病んでいるのは、患者ではなく、家庭であり、学校であり、会社ではないのか。治療対象が間違ってはいないか。

虐待。それも、尋常ではない虐待。パワハラ。セクハラ。モラハラ。不慮の事故。不慮の死。男女問題。犯罪。

精神科医は何をするのだろう。精神科医は患者の味方なのだろうか。ふと思う。精神科医は社会や家族の味方ではないのかと。まあ、精神科医はたくさんいる。良い精神科医も、悪い精神科医もいるだろう。

思うに、先天的な精神疾患は少ない。精神疾患は作られ病気だ。精神病理学は、今は流行らない。脳科学薬物療法が全盛なのだ。私は、それを支持しないが。

精神科医療は治療の対象を患者から解放しないといけない。非現実的な提言だという批判は甘んじて受けよう。しかし、家族や、会社を治療しないと、解決には至らないだろう。

精神障害者は被害者である。私もまた、パワハラの被害者なのだ。異例の転勤。私は怒り狂った。そして、本当に発狂した。これは、今日、初めて書く話だ。

狂うということは、マトモである証拠だ。狂わないことが異常なのだ。逆説的に言えば、今の社会に適応している人は異常だ。

精神疾患とは何か。これを徹底的に哲学したい。