白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

死を受け入れて生きる

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人は、いつか死ぬ。そんなことは小学生でも知っている。しかし、若い頃は死を意識しない。当たり前に日常があり、熱狂がある、喜びがあり、悲しみがある。そこには、明日があるという前提がある。

シニアになると、死を意識する。死にたくないと思う。長寿を目指す人も多い。いや、大半の人が長寿を目指す。

ピンコロという嫌な言葉もある。死の直前までピンピン生きて、コロッと死にたいというのだ。虫の良い話だと思う。病気などで苦しんで生きている人たちへの想像力に欠けている。思いやりがない。

私は、余命1年を宣告され、戸惑った。この世に何かを残したいと思った。文学か、経済学か。それとも、放蕩か。いつ死ぬかは分からない。しかし、ふと、いつ死んでも後悔はないという心境に達した。

現世。あの世があるのかどうか知らないが、火葬は良くない。風葬が良い。狼や虫たちに食われるのが良い。

人に寿命があるように、人類にも絶滅の時が来る。宇宙に終わりはあるのかどうか。

死を受け入れるということ。それは、自我に執着しないということだ。不自然な欲望から解放されるということだ。自然体。それは苦しみからの解放でもある。