近代の終焉
私は、2014年に「次世代文明の誕生(銀河版」を出版したが、拙速だったようだ。
まず先に、「近代の黄昏」と「近代の終焉」を書くべきだった。
人類が新たな千年紀を迎えて、20年がたった。世界は、どう変わったのか、そしてどう変わるのか。歴史観の問われるところだ。なお、ここで言う歴史とは、石器時代からの人類史を言う。一番の参考文献は、「ヒトはなぜヒトを食べたか」だろう。
近代は終ろうとしている。社会も、経済も、技術も、国家も。
新しい社会観が確立されたとき。それが、近代の墓標となるだろう。
新しい人間観、新しい家族観、新しい生活観、新しい国家観が生まれようとしている。
進歩、成長、効率、開発、といった主要原理の語彙は消える。
勤労は普通のことではなくなる。
シュンペンターの「資本主義、社会主義、民主主義」は重要文献だ。
個人概念も変わる。自由の意味も変わる。社会構造が変わる。国家の概念も変わる。経済システムも変わる。もちろん、ライフスタイルも変わる。
エマニュエル・トッドの、この本も読んでおきたい。
新自由主義などという脳天気な思想は消え去るだろう。社会は、福祉へと舵を切る。
階級や、階層も構造的に激変する。いや、これは既に、激変しかけている。
これから、何が重要かって。そんなことは、自分で考えることだ。
いま、ここが重要だ。次に、明日が重要だ。その先はわからん。
私は今、ハイボールを飲み、タバコを吸いながら、これを書いた。これから寝ます。