白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

死を想う

去年の6月、内科医と次のような会話があった。

「余命1年くらいですかね」

「それくらいかな」

内科医が正しいとすれば、今年の6月には死ぬはずだ。ずれても、年内には死ぬだろう。それなのに、いまさら入院。日常生活不能だから。酒もタバコも無くなって、本当に大丈夫か。発狂しないか。やはり入院は、やめておこうか。リスクが高過ぎる。

死を前に、思い出も消えていく。どう死ぬのか。関心はそこにしか無い。いや、もう半分死んでいるのだ。

身体が動かない。排泄管理ができない。食事をしない。何も考えない。

ある愚者の生涯は、幕を閉じようとしている。