白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

精神障害者の人生観

転落の完結。それは生活保護となり、さらに金銭管理サポートが入ったことで終了だ。しかし今、生活が成り立っていないという事実がある。そしてまた、10年前のように、上を見たり、下を見たりが始まった。

一つには、精神障害者世界で生きるという考えがある。入院して、アルコール依存症を治療し、精神の施設、グループホームに入って生きのびるという作戦。しかし、酒もタバコもない人生など糞だとも思う。

もう一つは、生業を見つけ、生活保護から脱却し、一般世界に復帰するという考え。これはそう容易なことではない。諦めろという圧力がかかる。

さらに、このまま飲んだくれて死ぬのも人生、という考え方。何も行動していない現状は、このコースだ。

どれを選ぶか、迷う。お金さえあれば、問題は解決するのだろうか。そうでもない。自律的に生活をしなければ、飲んだくれて死ぬ人生だ。まあ、お金は無いより有った方が良いが。

どう生きるのか。考えがクルクルと変わる。まるで、主体が分裂しているかのようだ。

現状の経済で生活を固めろと識者は言う。それが出来れば苦労しない。それに、酒とタバコはどうなる。無理なんだよ。稼ぐ方が楽なように思うのだ。

しかし、現実問題として、精神障害を抱えて稼ぐのは大変だ。識者は動けという。ある識者は動くなという。これはもう、人生観の問題なのだ。

生きるとは何か。それは、楽しむということだと私は答える。一人で酒を飲み、家に閉じこもってネットをするだけで楽しいのか。欲が出る。吾唯足知の精神が必要だろう。

さて、どう生きようか。焦るな。まずは健康と身だしなみだ。まだ、60歳。動けなのか。動くななのか。いまはまだ決められない。そう言いながら、時間だけが過ぎて行く。困ったもんだ。