白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

グシャグシャ

愚者は愚者でグシャグシャだから

寝ると、食べると、呼吸をするだけで

なんとか晴れてくれと祈るばかりで

お金が無いと嘆くばかりで

いっこうに働こうとはしない

働いても、すぐにクビになるからである

愚者だからだ

それでも日本には憲法25条の生存権がある

もっとも憲法はなくても生存権はあるだろうと愚者は思う

愚者にもその程度の知能はある

今日は愚者が眠れない日だ

新月の夜は眠れないのだ

眠れない日が続くと頭が冴えわたる

嘘のような話だが本当なのだ

この世の悪の陰謀の全貌が陰嚢のように見えてくる

そして愚者は祈る

悪しき労働の無い世界を願う

異次元の未来へと飛行する

愚者は一人ではない

愚者達はクルーだ

まだ見ぬ世界を描き、祈ること

グシャグシャになった頃が食べ頃だ

少しは歯応えがあった方がよろしい

今日の愚者達は嵐になれと祈る

理由は・・・野暮だよ

 

福祉業界が就労という絵に描いた餅で肥大化している件

福祉業界が就労という絵に描いた餅で肥大化している件。

自立支援とか、新しい公共という概念というよりも言葉を使って、福祉の対象者(障害者や生活保護受給者)に、いろいろなサービスを提供し、ステップアップして、最後のゴールが就労なんだそうな。

しかしね、就労できるのはレアケースですから。

それに障害者の場合、就労したら企業側にお金が行く仕組みなんですね。それが社会保障費に含まれるのだからお笑いです。いえ、笑えませんね。

結局ね、制度改革でできたことは福祉業界の肥大化。福祉業界の雇用創出ですよね。

就労って、そんなに喜ばしいこと、あるいは人間としての義務なんですかね。

何度も書きますが、労働はある時には聖なるものと美化され、ある時には刑罰として与えられ、また、年収という形で格付けの道具にもなる。

今からビジネスを始めるなら、就労継続支援B型なんておいしいですよ。障害者が一人1日来てくれれば約6000円行政から支給されます。10人なら1日6万円ですね。本人には1000円も払いません。日本にはそういう世界、そういう制度があるのですよ。

社会福祉法人も凄い勢いで増えて、1万7千くらいあります。最低でも1億は持っていますから、2兆円規模の資本金と考えて良いでしょう。それがどんどん肥るのです。

まあ、就労は建前と割り切り、サービスの恩恵に預かるのが賢明なのでしょうか。

とりとめの無い文章になりましたが、最後に一言。

「福祉業界よ、就労という絵に描いた餅を振り回して商売するのも、いい加減にしましょうよ」

何か書こうよ

茫洋としている。目指すべきゴールもなければ、未来の計画もない。当分は病状の推移を見ることになるだろう。張り合いは無いが、たいした苦痛も無い。ただ、漠然とした思いだけが漂う。そんな感じだ。

書きかけの小説「笑顔の監獄」で、障害者世界以外を一般世界とし、一般世界は明るく元気で笑顔に満ちていると書いたら、読者に馬鹿にされた。どこの国の話ですか。一般世界は苦しく、辛く、理不尽なのだと。もっともかもしれない。

つまり私は一般世界を知らないのだ。ごく狭いアッパーミドルか上流階級しか知らないのだ。そんな奴が書く小説など面白いわけがない。もしかしたら、落ち込んでいるかもしれない。自分ではよく分からない。

そもそも一般世界とは何か。人はそれぞれ見ている世界が違う。日本という国に住みながらも、それぞれが別の世界を生きているのだ。そういう多様な読者が、障害者世界の小説を読んで、どんな感想を持つのか。いや、それ以前に作家ならば読者層を想定しないといけない。

私は小説で何を訴えたいのか。政府の陰謀だろ。利権だろ。それしか無いだろ。障害の苦しみ。それを描くつもりは無いのだ。

「治りましたね。おかしいな。薬は飲んでましたか?」

医者にこの台詞を言わせたいのだ。

なんでも精神病にして、障害者手帳を強要し、薬を強要する、精神科医療利権。そしてそれを待ち受ける福祉利権。これが俺の妄想だ。この妄想を小説にするのだ。

混沌。一般世界像を馬鹿にされたが、それは良いことなのだろう。報いはある。現状は過去の報いなのだ。私は障害者世界の片隅で、コツコツと小説を書く。

障害者世界とは何か

 今、障害者世界をテーマにした小説を書いている。私自身、5年前に障害者になり、障害者の世界を知り、正直、驚いた。日本の福祉の手厚さに感嘆した。

 それにしても、障害者世界という言葉はいったい何を意味するのか。日本の障害者700万人が仲間意識を持っている訳ではない。そうではなく、障害者には独自の制度やサービスがあるということだ。

 言い方は汚いが、障害者は概ね貧困である。今は貧困でなくても次第に貧困になる。つまり、障害者は病気に苦しみ、貧困に苦しむ。それをサポートするのが福祉である。

 障害者の一番の苦しみ。それは退屈ではないだろうか。一般世界から疎外され、お金もなければやることもない。この状況は不安とも共通する。先など見えるはずもないのが障害者だ。それなのに、馬鹿メディアは頑張っている障害者を美化し、働くことが素晴らしいと主張する。行政もその方向で、就労支援にお金をばらまく。そして、そのお金の多くは障害者へではなく、社会福祉法人などの懐に入る。

 私が精神障害者になって一番に驚いたのは、家事支援でヘルパーが入ったことだ。もちろん無料である。二番目に驚いたのが地域生活支援センターという障害者のサロンのようなものの存在だ。ほぼ無料で利用できる居場所、喫茶店のようなものだ。三番目に驚いたのが訪問看護だ。週2回看護師が1時間自宅にきて話をする。まあ、それだけ私が重症なのだが、自立支援制度があるからお金がかからないのであって、実費なら月額10万円を超えるだろう。

 就労継続支援B型、A型も知ったが、筋悪の障害者ビジネスだなと思った。事業所によって玉石混交なのは明白なのだが、業界では、「合う合わないがありますから」という常套句が使われる。

 私の小説では、安価な労働力を大量生産する目的で、精神障害の範囲を広げ、有能な障害者をどんどん作ろうという政策を政府が内密に行うというものだ。そこに複雑な利権がからむ。障害者はピンクのICカードを持ち、健常者はブルーのICカードを持つ。障害者は一般世界から分離される。しかし、その中で障害者が幸福をつかみ、健常者が苦しむという絵を描こうというのは傲慢だろうか。顰蹙だろうか。障害者は健常者に感謝しなければいけないのだろうか。

 私は27年のサラリーマン生活で、すっかりビジネスの世界の価値観に染まっていた。自分は世界を見ていると思っていた。しかし、障害者世界のことなど、まるで知らなかった。今も私の中には「優劣」という語彙がある。優が健常者で、劣が障害者なわけがない。いや、そういう思考をしてはいけない。私はまだ、障害者世界の価値観を知らないのかもしれない。

 障害者世界とは何なのか。まだ、探索の途中なのだ。