白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

ベーシック・インカム議論の基本

ベーシック・インカム(生活上必要な費用を一人一律に給付する形態の基本所得制度。以下BI)は、ややもすると制度として論じられている。制度として妥当か、制度のバリエーションにはどのようなものがあるか、実現可能性の問題としてBIへどう移行するのか、そしてBIにどのようなメリットがあるのかといった議論である。

しかし、このレベルの議論は本質的な問題ではない。BIは勤労観や福祉観、さらには経済システムについての思想である。実現可能性から議論してしまうと、簡単に不可能という結論に至るだけに終わる。BIを主張する者は、制度として矮小化された議論に陥ってはいけない。そうではなく、BIを基本的な権利と捉え大上段に構えなければならない。

超資本主義社会(貨幣なしでは生存できない社会)を強制されている我々にとって、基本所得を受け取る事は、労働とは無関係の生存権=基本的権利であるというのがBIの主張だ。それは実現可能か、持続可能かという問題ではなく、実現されなければならない国家の義務なのだ。BIは単なる福祉の一形態などではない。BIは人類史上の革命なのであって、実現の過程が平易なものではないことは明らかだ。もともとのBIは資本主義の成熟を前提として、月額20-30万円の水準で提言されたものなのだ。このBIの活動の歴史は知っておく必要がある。

一方で、BIを基本権として主張することは超資本主義社会というう批判の対象でもある現実を受容し、肯定することにもなるということも忘れてはならない。例えば、半資本主義で生存権が確保できる方が望ましいと考えるならば、BIを主張する理由は失われる。また、巷のBI推進論者には他の福祉政策を最小化し、行政コストを最小化しようという思惑もある。

BIを実行する主体として国家だけを考えるというのも、想像力の欠如と言えないだろうか。EUが通貨を統合したように、超資本主義社会では、通貨統合だけでなくBI統合ということも考えられる。既存の国家概念を超えて、例えば東アジアBI圏であるとか、それを管理する国家以外の機構の設立も考えられよう。

さて、BIが目指す社会とは何だろうか。現時点では、この点に関する共通の展望は無いようにも見受けられる。それだけに、私たちはBIを通して、新しい世界観、新しい生活、新しい社会心理・個人心理等に思いを馳せることができる。もちろん、それは負の側面も含めての話だ。BIの思想を知らないリバタリアンによる福祉切り捨てのためのBIなど邪道なのである。このことだけは、いくら強調しても、強調し過ぎるということはない。