白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

素顔の研究室。マハルシ。あるがままに。

今日は台風だし、ネット三昧にしようと思っていたら、熟慮の結果、ネット開始が午後7時半になった。それはそうだろう。150メートルの距離にある犬カフェに行くのに90分かかったのだ。8時半に電話をしないとと思い、自販機の前で電話した。水を買うかブラックのコーヒーにするかで迷ってコーヒーにした。9時前にあく、社協の安心サポートセンターに電話をするべきだと思った。もちろん電話をした。芋づる式に数件に電話。ここで60分が過ぎた。国道の交差点を渡ると馴染みの交番がある。正式名称は田中交番。住所は甲南町。もちろん神戸だ。私は、慣れない安物の半パンを履いており、半ケツになったので警察だと思ったが、岩田氏は自分でやれと普通のことを言う。立たなくなったのは勿論、立てなくなった障害者の私は、61歳の一般には高齢者の私は、苦労が先という名前に生まれた不幸を呪いつつ、早くも走馬灯が走馬灯になる自分によっていた。アリストテレスの伝統に従う、自己愛人間なのだと。

9時30分、犬カフェに着いた私は自分らしさ満開だった。さりげなく隣の客に声をかけた。無理をしてトーストまで完食した。アイスコーヒーを追加した。会計は千円を超えるだろうと予想していたが、千円丁度だった。迂闊にも寝てしまい、アイスコーヒーの運ばれてくる音で目が覚めた。あるがままにの黒崎。マハルシ党の黒崎。黒澤党の黒崎。黒は縁起が悪いので白井にした黒崎がそこにいた。最後は、らしく、1枚も使わないネームカードも悲しいのでという注釈を添えて、研究書の名刺を出した。そこまでは良かった。

11時。はやくも昼になっていた。交番の手前で一服して私は倒れた。また、うっ血性心不全で立てなくなったのだ。また、救急車を呼んだ。ナンバー841。私の元妻、本田やよいの841だ。実に縁起が良かった。やはり隊員は一流だった。体温は38度もあった。実は毒チンは一度も打っていないことを告白した。それは自由ですよねと念を押した。先週の金曜日に中央市民病院でPCR検査を行い、陰性だったことを伝えた。やぶ医者が嫌いなことも。

相手はプロだ、話ははやい。どんどんと、私らしくラディカルになって往く。区役所に電話をした。係長に電話をしたら予想通り多忙で不在だった。区長が悪い。依願退職しろと思った。若手男性保健師に繋がった。話は早かった。私はこの男の名刺を持っている。自慢だ。悪いか。なお、前の区長は本山第一小学校6年6組の同級生、谷口真澄だ。名刺どころか、車椅子を押してもらった。今の区長とは人間の種類が違うのだ。自慢だ。悪いか。

それから。漱石。独り言。はじめてのプロ訪問看護師と電話で話をした。死なない限りタクシーででも夙川の渡辺病院本院へ行けと言われた。名医、服部晴起は午後2時過ぎに私に電話をかけてきた。私の話を傾聴したうえで彼は言った。良い医者に巡り会えることを祈ってます。オーマイガッ。何てことだ。私の未練心は木っ端微塵になった。

そこからは独壇場だ。午後6時にほっかほっか亭ビーフステーキ重と水とお茶を、一流ヘルパーが缶とペットのごみ捨てにきたのを良いことに缶コーヒー2本を要求して無理を通した。

この完璧主義は甲南大学名誉教授、ベルリンの壁崩壊時にはドイツ政府から最年少で勲章をもらった昔のフルブライト。父、黒崎勇譲りではないかと。もしかして彼は学者として100点以外を経験していないのではないかと。最近になって彼は、長男潔との角質、稔叔父とに確執、薫伯父から暴力を浴び怪我をしたことなどを私に告白した。10代でフランスに料理で自費留学させた次郎が、最近連絡すらとらないことに憤慨していた。精神障害者でも、お前みたいに正常な者もいれば、健常者でもMさんみたいな馬鹿者がいると言っていた。Mさんとは元妻で実母の道子のことだった。そんな彼は常識人だった。本山第一小学校6年6組の私に灘中を受験させるようMさんにメールしたのだ。それなのに、Mさんは遅すぎるとかいう理由で、私を受験させなかった。両親の溝はこれで決定的になったのだと父は言った。しかし、どこまでも常識人だった。甲南大学の後輩、中井久夫なんかに家族療法を頼んだら、1時間に10万円もとられるという正常な感覚があった。見栄を張るだけの大学教授にして将棋部顧問、橋村教授とは決定的に違った。父はラディカルにも橋村教授を甲南女子大に押しやったのだ。

ラディカルは過激なと訳されることが多いが、それは本位ではない。ラディカルとは、本質的な、根源的なという意味だ。

これで、約2000字。はてな標準のトリプル・メジャー・カテゴリー。復調の兆しだ。お後がよろしいようだ。締めは笑いで。これが、最近の私の習慣だ。文句あるか?