頭がパニック

節約しているつもりだ。焼肉屋にも寿司屋にも行っていない。それでも金が無い。今も、そしてこれからもだ。

水道代、電気代が払えない。いや、タバコと酒と喫茶店が悪い。何だ。どんな生活をしろと言うのか。

頭はパニック。自分をコントロール出来なくなる。ワンとか、ウィーウィーンと喚く。末期的だ。永久入院的症状だ。

「主体性」これが鍵概念だ。私は長年、精神科医に主体性を明け渡してきたのではなかったか。あるいは相談員に、父親に、ケースワーカーに。いつから。そんなことはどうでも良い。過去の解釈は既に終わっている。大事なのは未来だ。

頭のパニックは夜、寝る前に発生する。対策が必要だ。禁煙は必須だ。今日は土曜日だ。どうする、俺。

今日は、出しお好み薬豚の紅しょうがトッピングだな。そうだ。愛ちゃんの日だ。贅沢の日だ。5月26日だ。

主体性。判断できない自分。成年後見人問題。予防的対策。家賃。通信費。借金。弁護士。頭がパニック。相談なんて気休め。終わりには手を伸ばさない。節約。冷静になれ。順番だ。優先順位だ。支離滅裂だ。

さあ、仕切り直し。

精神科の主治医

振り返ろう。私が38歳の発病以来、何人の精神科医を見てきたか。いや、多すぎる。主治医だけを追いかけよう。ただし、入院時を除く。どうなるだろう。

 

1.N1医師 町医者・・・数ヶ月

2.SA医師 産業医・・・約1年

3.YH医師 大学教授・・・約10年

4.YM医師 大病院・・・約1年

5.SK医師 町医者・・・約2年半

6.MK医師 町医者・・・約2年半

7.HH医師 町医者・・・約1ケ月

 

ああ、藪医者もいれば名医もいる。そして、主体性を奪う医者がいる。今日も弁護士に会う予定をキャンセルさせられた。いや、まだキャンセルしていない。行けば良いのだ。でも、アドバイスに従うのだ。どっちなんだ。

 

否定。のんびりしてくださいと言われた。4月から躁状態だった。断片的に記憶が飛んでいる。思考が断片的だ。成年後見人は妥当だと言われた。金欠パニック継続中。

 

精神科の主治医。よりかからないことが肝要だ。主体性を維持することだ。よりかかるなら精神科医以外にしよう。依存。依存する相手を間違えるな。最後の砦を確保せよ。

ロバート意識

「哲学者たち  R.4.1」

哲学者は言語の囚人だ
脱走ばかり考える囚人だ

哲学者は意識の病人だ
意識を言語で説明できると妄想している

言語という不十分な道具
この不完全な道具を改良しようとする哲学者
実験と失敗
それはやがて世界を狂わせる

問いと批判
哲学という熱病に冒されて死にゆく者

哲学者が恣意性を排除できるはずもないのに
意識を言葉で説明しようとする

徒労だ
唯物論も二元論も遊戯だ
人間が作った言語ゲーム

哲学は過去の道具となったのか
もう哲学の時代は終わったのか
それは歴史学の対象になったのか
そのうち言語は爆発するだろう・・・その時


「人間的自然と非物質 R4.2」 

人間的自然とは自然状態ではない
それは社会生活の中から出現する自然を意味する
そこに横たわる心身問題ないし心脳問題
解釈がいくつあろうとも
出口はどこにもない

人間的自然という言葉の響きに酔いながら
それは美しく
それは正しく
崇高なものにちがいないと直観するのか

あるいは、人間的という条件になど
何の意味もないと
吐き捨てるのか

人間的自然というからには
その特性が示される必要がある

スピノザ、ヒューム、ドゥルーズ
人間は本当に特別な動物なのだろうか

生命という次元
意識という次元
精神という次元

非物質とはなにか
それは科学者の領域なのか
哲学は不要なのだろうか

そろそろ、ロバート意識について語ろうか


「私という仮想の主体 R4.3」

現実などない
認識はある

いや、現実はある
空間として
物質として
時間として
エネルギーとして
情報として
交換として
生命体として
意識体として

進化する宇宙
複雑さの中で
新しい次元が生成されて行く

私は身体という乗り物を持つ主体
私は主体という意識を持つ非物質
電気的に構成された仮想的構造体
ニューロンの作る幻影

意識は意思を生む
意識は欲望する
主体とは欲望する意識のことだ

私という主体は一つではない
統合的体系は偽装ないしは仮定だ
社会秩序のための制約だ

社会もまた主体であり仮想であり集合体である
社会もまた生命体である
天体や宇宙と同じく

脳はどこにある
ニューロンはどこにある
ロバートはそれを知っている
ただ、思い出せないだけだ


「非言語的概念 R4.4」

あの宇宙人には心という概念がないのさ
感覚という概念も
自分という概念も

ローティ先生
それは進化論的にあり得ないぜ

猫にだって自己意識はある
それは言語に先行する

ふむ、では意識は物質か、それとも脳か

あららら
そんな古臭い哲学はつまらない

デカルトヴィトゲンシュタインもどうでもいい
ロバートは答を知っている
ただ、言語が不完全過ぎる
だからロバート言語が必要なのさ

脳は道具
身体は乗り物
私は私でドライブする

私は私
時間は時間
次元は次元

私は私が私ではない可能性を否定しない


「散乱そして産卵 R4.5」

意識は散乱する
思考は輻輳する

記憶は希薄で
行為は必然だ

散乱から秩序へ
オスとメスは結合し
そして産卵へ

世界はすべて散乱している
散乱していないという錯覚だけはある

産卵が散乱でなくてなにが産卵だ
ロバート意識は主体を超える

貴方が私になり
私が貴方になる

意識は強制され捏造される

散乱せよ
産卵せよ

それが宇宙の法則だから

(了)

再掲:社会保障の切り下げは違憲である

社会保障の切り下げは違憲である

ナショナルミニマムの根拠は憲法25条の生存権である。

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

ナショナルミニマムとは、いま話題のセーフティネットのことで、生活保護がその最低線だ。憲法では、国はこの水準を上昇させることとしているのに、憲法に逆らって、いま切り下げが検討されている。
厚生労働省は2007年になってようやく日本の相対貧困と調査レポートを公表した。それによると、全体での貧困率は15.7%だ。この数字はOECD加盟21ケ国の中で4番目に悪い数字だ。では、ナショナルミニマムの水準はどうか。これもまた、先進国平均の70%という低い水準なのである。さらに日本では生活保護を受けるべき人が生活保護を受けていないという問題があり、これについては国連から勧告も受けている。
確かに日本の財政は危機的だ。国の借金がGDPの2倍以上という未知の領域にいる。そのうえアベノミクスプライマリーバランスは史上最悪となる見込みだ。高齢化に伴う社会保障費の増加は必然的なのだが、それを削減して経済政策に巨額の予算をまわし、景気を刺激して税収増を図るのだという。しかも、社会保障費に占める生活保護の割合は極めて小さい。
いったいあの生活保護バッシングの背景には何があったのか。これは、何かを攻撃することで同調者を集めるという手口だった。他国を罵ることで国民意識を高揚させる手口だ。大衆は簡単にメディアに操作され、集団的アイデンティティに安心し、また熱狂する。国家はどこも、そういう性格を持つ。また、日本は特に民主主義や人権や福祉というものに対する理解が乏しい国なのである。
しかし、私が問題にしたいのは、それだけではない。憲法を改正するのであれば、いっそう「勤労の義務」を削除すればよいと思う。

第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。児童は、これを酷使してはならない。

注目すべきは、勤労の権利である。日本ではこの権利が守られていない。そして、ブラック企業が横行し、労働条件は悪化している。もっとも、これにはグローバルな経済環境が関係しており、国を責めても意味がない。いっそう、国は雇用を目標とするのをやめて、勤労の権利も義務も無くしてしまったらどうだろう。
俗説とは裏腹に、世界的に見てエネルギー資源も食糧資源も潤沢である。もはや、世界の経済成長を担えるのは新興国だけであり、問題は成長という拡大ではなく公平な配分なシステムをどう作るのかとに変わりつつある。つまり、生活保護の切り下げは負け犬の戦略かもしれないのだ。
希望の持てる国にするならば、生活保護の要件を緩和し、ブラック企業ワーキングプアを減らして、生活保護で安心して暮らせる人を増やす方が経済学的にも、福祉の観点からも、賢明ではないのか。
私はメディアの薄っぺらな世論操作的番組などは見ない。それよりも総務省はじめ各省庁が発表しているデータやレポートを見る。これにはインターネットで簡単にアクセスできる。
高齢化と過剰とデフレという世界経済の大潮流の最先端を独走する日本に世界は注目している。憲法を改正するなら、いっそう勤労の権利と義務を放棄してはどうだろうか。画期的な社会原理の変更だと思うのだが。

 

(初出:2013.9.23「連載.jp」)