真面目に読んではいけない

チョプラの本を読んでパニックになっていた。その本をなぜか神聖なテクストだと思い込んでいた。真面目に読み、実践した。ただ、途中でついて行けなくなった。そして、パニックになった。

私には信仰はない。聖典もない。自然な生き物として、ただ生きる。使命。そんなものは無い。あるとすれば、生きるとは楽しむことだという真理を実践すること。それだけで良い。

瞑想は悪くない。ただ、そこから高次の意識が得られるとか、霊からのメッセージが得られるという妄想(あるいは空想)は持たない方が良いだろう。もっと気楽に。ケ・セラ・セラだ。

コンビニに行って角ハイボール濃いめを買ってきて飲んだ。この味が私の定番だ。この味が良いのだ。1日208円+税。喫茶店のアイスコーヒーより安い。これが、今の私の一番の癒しだ。ただし、飲み過ぎはしない。1日に350ml缶を1本。それだけだ。

瞑想は続けよう。ただし、カジュアルに行こう。ありもしない、あるいは険しい真理などとは無縁でいよう。

私は、いつだって幸福だ。

 

中庸とは何か

昨日、本を読んでいた。

そこに「中庸」についての記述があった。

一つの大河があると思いなさい。一方の岸には快楽がある。一方の岸には苦痛がある。多くの人が、快楽と苦痛を行ったり来たりする。中庸とは快楽も苦痛も避けて河の中央を進むことなりと。

ハッとした。そんな中庸の解説は始めてだった。快楽もまた避けるべきものなのか。心に沁みるものがあった。

同じ本に、恨みや怒りを完全に消しなさいと書いてあった。それが修行であり、意識のステージを上げて行くのだと。なんともスピリチュアルだが説得力がある。

本は読み終えた。あとは実践だ。

視界は開けたのだろうか。

願望、いまはまだそれすらも未整理だ。

ゆっくりと急げ。

迷ったときは運命を信じなさい―すべての願望は自然に叶う

迷ったときは運命を信じなさい―すべての願望は自然に叶う

 

 

日本消滅

断層社会
もう、共有する文脈が無くなった
国家は消滅した
いったい誰が権力者なのか
政治か、官僚か、宗教界か、マスメディアか、何か

私にもぜんぜん分からない
すでに戦時中なのに報道は呑気だ

世界史的に国民国家が誕生して400年
そんなブームは、もう終わりだ

民主主義
なにそれ、美味しいの?
そんなものは長い歴史からみれば一つの流行
進歩でも、何でも無かった
衆愚の時代
当然の帰結

暗い時代の中の明るさは構造構成主義
みんなそれぞれの世界を生きる
スマホの中で、地域の中で、友達の中で

国民的連帯は消えた
日本消滅だ
現実が見えない

愚者が祈るのは
愚者が祈るのは
ただ、平穏であること
日本が消滅しないこと
そう、あの時と同じなのか

知っているのは運命を知る神々のみなのか

量子力学とのシンクロニシティ

最近、立て続けに量子力学のわかる学生に出会った。
一人はカフェバーでアルバイトをする国立大学の理学部生。男性。もう一人は、ファミレスでアルバイトをする同じ国立大学の理学部生。女性。

量子から何を連想するか。今の私には、それは宇宙の意識だったりする。
量子力学で思い出すのは、茂木健一郎氏の「脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか」だ。アンサンブル限定の決定論。結論として自由意思などない。

さらに、相対論的な時空の概念に基づくと、時空は過去から未来へ「流れる」のではなく、最初からそこに「存在する」という。

こんな研究はノーベル賞を遥かに超えている。

参考までに、昔書いた「脳とクオリア」の読書メモを貼っておく。

d.hatena.ne.jp

宇宙は量子に満ちている。