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ささやかな暮らし

チョプラの「すべての願望は自然に叶う」実践して、約1ケ月。漸く、レッスン5迄来た。ここではまず、すべての願望を書きだすという作業がある。そう言えば3年前、私の願望は喫茶店でアイスコーヒーを飲んでタバコを吸うことだったことだけだった。「もう、物語はいらない」という詩も書いた。

 

しかし、瞑想をするうちに、いろいろな願望、欲望が見えて来るのが面白い。名声への強いこだわり、それに反する「ささやかな暮らし」への願い。

 

そこで、ブログ村のカテゴリ―を「ささやかな暮らし」に変更した。アイコンは自作の「46文字の宇宙」だ。何とも目立つ、ささやかさではないか。

 

今後とも、このブログをよろしくお願いします。

 

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愚者の祈り

愚者はグシャグシャだ

愚者は真実を口にする

賢者は決して真実を口にしない

だから愚者は愚者で賢者は賢者だ

 

昔、ヨーロッパの宮廷には道化師がいた

道化師は王や女王、王子や王妃を

馬鹿にすることが許されたいた

王族はそれを見て笑い転げた

さらには、占星術やタロットの占い師も

いた

それらは、戦争はもちろん、各種政策の

判断材料だった

 

過去形だろうか

今も王室や皇族には道化師や占い師が

いるのではないだろうか

彼らには笑いと自省の余裕があった

 

それが、今の日本はどうだ

マスマディアの笑いは制限されて

道化の機能を失っている

機能が、

昨日が、

麻痺して、

麻痺して、

マッヒッヒのマントヒヒ

 

愚者は世界の真実を知るもの

愚者は世界の真実を語るもの

 

今、愚者は虐げられている

しいたけは食べられる

それは冗談だ、ダダ

 

ダダはタダだ

タダほど高いものは無いって

言うじゃない

え、知らないの?

 

ああ、そんなのどうでも良い?

え、知らないの?

 

知っているのに知らんふり~

ダーダ、ターダ、ダーダ

 

イミフよイミ不名誉、いや不明よ

名誉や不名誉など、どうでもいい

 

憂慮すべきは愚者の不在だ

愚者が消えた時

世界は消える

だから愚者達は祈る

 

だから身体だからと祈る

だから身体だからと祈る

公平性の経済学

mixiに「公平性の経済学」というコミュがある。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=2575494&from=home_joined_community

開設日:2007年9月5日、3534日間運営

私が作ったコミュだ。
読み返して、内容が秀逸なので、ここにも掲載する。

<紹介文>

「公平性の経済学」は進化経済学に属する総合的な社会経済哲学に位置づけられる。
  
その、第一の特徴は、経済学の目的をベンサムの「最大多数の最大幸福」ではなく「より公平な経済システム」と定義し、センの業績である「パレート派リベラルの不可能性」を支持するとともに、公平性を経済思想の中心に据える。
それは、初期値の公平性、成果比例は公平か、能力比例は公平か、公平な福祉とは何か、機会の平等、結果の平等とは何かという問いに対し、哲学的、経済学的な解答を与えることになるだろう。

第二の特徴は、経済統計を使って実態経済の認識と評価に大きなパラダイム変化を起こすことにある。具体的な指標として最優先に用いるのは資金循環図である。成長というメタファから脱却し、この資金循環を用いて経済のプロセス及びその変化を分析することを第一の課題とし、成長率に変わる新たな指標=概念を導出することを目指す。

第三の特徴は、進化経済学的な総合性である。「公平性の経済学」の定義域は、哲学、政治、経済、社会、文化、国際情勢、等を横断する。

最後に、ここが一番肝心なのだが、私の構想は、以下の2点を柱とする。
 a.成長思想からの脱却
 b.雇用主義からの脱却
そして、この構想の正当性を裏打ちする文献が出て来た。

「このように見てくると、自然破壊という環境問題の背後には、資本主義の不安定性とそれを緩和するためのケインズ政策という景気対策があることがわかる。自然環境を犠牲にして、市民の雇用と安定した経済規模を確保してきたのだ、と言っても過言ではない。」 エコロジストのための経済学 小島寛之 東洋経済新報社 2006 p.95

管理人の私は基本モデルの構築に専念する。
もちろん、批判や反論もあるだろう。
それには答える場合もあるし答えない場合もある。時間を無駄にしたくないからだ。

このコミュの参加者としては以下のようなタイプを想定している。
 1.自らも独自に研究し論文を書くタイプ(トピを立てるタイプ)
 2.批判や意見は言うが、自らは成果物を作らないタイプ
 3.もっぱら読むタイプ
どれも可であるが、感情的な誹謗中傷をする人には説明なく退会してもらう。

(以下略)

まったく陳腐化していないどころか、やっと時代が追い付いてきた感じだ。

全日本喫煙飲酒自由党

私は喫煙者である。タバコは美味い。たばこは文化だ。

私は酒(アルコール)が好きだ。酒は美味い。酒は文化だ。

それなのにWHOとやらは酒とタバコを禁止しようとする。これは反文化的団体ではないのか。命や長寿がっそれほど大事かね。タバコも酒もダメというのなら死んだ方がマシなのだが。

悪いのは大量摂取の依存症であり、アルコール中毒とか言われる病気だけだろう。一般的な飲酒者は何の問題もない。肺がんや糖尿との相関だって。肺がんにいたっては相関が無いことがデータとしてある。糖尿も量の問題だ。適性飲酒が身体に悪いはずがない。タバコだってストレス解消という効用がある。ストレスほど身体に悪いものは無いのだ。

酒はともかく、喫煙者へのいじめはどんどんと進んでいる。喫煙場所は隅に追いやられ、今度の法律では飲食店での喫煙が全面禁止されるらしい。グローバルスタンダードか何か知らないが、この反文化的風潮の影響が日本にも来ている。これは、個人的にだけでなく、思想的にも許し難いことだ。

喫煙権を守れ、飲酒権を守れ、自由を守れ。

もちろん、飲酒運転を認めろとか、未成年者の喫煙を認めろというのではない。禁煙場所ももちろん認める。ただ、それならば喫煙場所も認めろと主張する。そういう政党を作るしか無い。いや、作ろう。

比例区なら、絶対に戦える。勝てる。真剣に組織化、正当化をする人物は出てこないものか。選挙参謀。それはギャラ次第でやっても良い。

今日はゴールデンウイークの最終日。朝から酒を飲んで、軽く書いている。

大きなテーマだと思うよ。

命と文化、健康と文化のどちらが大事かは個人の信条の問題だ。WHOは反文化的団体だ。もちろん利権だ。これ以上、医療産業を肥大化させる必要はどこにもない。文明の文法を解体せよ。