白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

格差と貧困~新カテゴリー作りました

10年前に書いた「対立の哲学」に格差と貧困に関する章があったので読み返した。貧困は問題だが格差は当然だというようなことが書かれている。今は、必ずしもそう思わない。知的格差、社会的格差、健康格差、環境格差が貧困を生んでいるのではないか。

 

貧困が自己責任だというのは暴論である。貧困が社会責任だというのも社会に理想を求め過ぎだろう。せいぜい、貧困は社会問題だとするのが妥当ではないのか。

 

日本は福祉国家である。ただし、OECD諸国の中で福祉の水準が低いというのは事実だ。下から2番目か3番目だと思って良い。生活保護が人口の1.7%というのも異常に低い数字だ。普通は5から10%だ。これは、貧困が少ないのではなく、生活保護によるスティグマの問題と、行政サイドの問題だ。制度の問題ではなく、運用の問題なのだ。

 

ニート達は「生活保護になれば勝ち組」だと言う。確かに医療費はいらなくなるし、そういう側面はある。しかし、同じ生活保護の支給額でも受給者間の格差は歴然とある。

 

健康格差、人間関係格差、知的格差、生活スキルの格差。経済的格差に関して数字上で帳尻を合わせても格差は無くならない。

 

貧困が無くなれば格差はどこまでも許容できるのかという問題がある。一生働かずに食べていける富裕層と、40年以上働く必要がある労働者層の違いが鮮明になるならば、社会に対する不満は大きくなる。99%の富を1%の富裕層が持つ時代が良いのだろうか。

 

ミクシィのあるコミュニティで格差問題を議論しているのだが、年収1千万円でも自分は貧困だという人がいる。住宅ローン、車の維持費、保険、教育費。老後が不安で仕方ないらしい。

 

さて、どこからが富裕層だろう。資産100億は立派な富裕層。50億でも十分。これが私の感覚だ。1億円など毎年500万円つかっただけで、20年で無くなってしまう。40歳で一億円貯めてもリタイヤするのは危険だろう。

 

大きいのは家族の変容だ。結婚しない人たちが増え、離婚は当たり前になる。「世帯」を核とした日本の民法が現実にそぐわなくなっている。税制もそうだ。生活保護を受けるために離婚するなり独立するなりして世帯主になり一人暮らしをする。無駄は増えるが、現実の対応策がそれしか無い場合も少なくない。

 

現在の日本の労働力比率は58%だが、本当にそんなに仕事が必要なのか。労働ないし雇用しか分配の方法が無いから、無理矢理雇用を作っているのではないのか。だから、ブラックな仕事が増えているのではないのか。

 

ニートや引きこもりは、そういう世界からエスケープした人たちだ。最近では、彼らに発達障害など、精神障害のレッテルを貼ろうとする動きが見られる。社会的不適応は、本当に薬が必要な病気なのだろうか。

 

今日は福祉制度のあり方については書かない。いま、ミクシィでいろいろ議論している。面白い話が出れば、またブログを書く。なお、これから過去のエントリーに遡って「格差・貧困・福祉」のカテゴリーに入れる。コメント、反論は大歓迎。なにしろ、私は暇なのだから。