白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

低次と高次

私は意識の次元を上げたいと考えた。

物質的なものは低次元だとして興味を失った。

しかし、ある人に低次と高次を区別することに問題があると言われた。

ハッとした。どこかに便所掃除は低次で数学の問題を解くのが高次だという意識があることに気がついた。低次なものを軽視してはいけないのだと言われた。

低次の素材を使って、高次のものを構築しろとも。

生活レベルのことは試金石なのだとも。

瞑想だけではいけない。日常をきれいにしよう。

止行と観行

仏教においては、瞑想(止観)を、サマタ瞑想(止行)と、ヴィパッサナー瞑想(観行)とに分けます。

サマタ瞑想は心を静めることを中心とし、仏教以前にもインドにおいて広く行なわれてきた瞑想方法です。

一方、ヴィパッツサナー瞑想は観察することを中心とします。釈迦が開拓し、それによって悟りを開いた仏教独自の瞑想方法とされています。

不満や願望をうまく自覚できないままにしておかないで、それらに向き合うために自分の心を丁寧に探ってみること。

浮かんでくる不満や願望をそのままつかみ出して向き合うということ。

瞑想は続きます。

私の名はサマーナ

私の名はサマーナ。

今日の瞑想で、霊の波動がそう教えてくれた。

早速、サマーナについて調べた。ヨガ用語。サマーナとは. 体内で働く5つのプラーナのひとつ。 心臓と臍の間で活動していて、食べ物を消化し、栄養素を全身へ運ぶ働きがある。

では、プラーナとは何か。サンスクリットで呼吸、息吹などを意味する。インド哲学では、同時に人間存在の構成要素の1つである風の元素をも意味している。そして生き物 (すなわち息物) の生命力そのものとされる。

私はサマーナ。霊の世界には言葉が無い。波動だけがある。サマーナは声。

意識の理論

自己流のリラックス瞑想を始めて3ケ月。途中、トランスパーソナル心理学、禅、仏教ヒンドゥー教にも少し触れたが、あまりにも多くの流派、多くの文献があり、選択すら困難であると思った。ここは独自理論を作るしかないと。

 

1.リラックス瞑想を毎日続ける

2.意識の次元が上がる(頭がスッキリする)

3.リラックス瞑想を継続する

 

フレームはこれで良い。問題は意識の次元が上がるとはどういうことかだ。ここに意識の理論がいる。定説はない。

 

意識、人は誰も、私は私であると感じている。これを自己意識という。時系列での自己同一性がないと、社会生活は不可能だからだ。意識とは脳の活動である。脳が意識を作りだしていると言って反論するのは、特殊な人だけだろう。

 

さて、意識のレベルは寝ぼけた状態から冴えた状態、過剰な覚醒までいろいろある。しかし私は意識の次元という言葉を用いた。意識の次元とは思考で了解された私は私であるという認識の下部構造にある。私という真我の存在を意味する。真我という言葉が違うと思うなら、魂でも良いし、霊でも良い。

 

人は誰も精霊である。それに気がついた時、意識のレベルが上がる。そのためには、日々の瞑想が欠かせない。

 

意識レベルについては、これからも何度となく書くだろう。そのため「意識の理論」というカテゴリーを用意した。

 

さて、今日もこれから瞑想だ。霊の次元に行けるかどうか。やってみないと分からない。