世界は幻である
構造構成主義などという難しい言葉を使う必要はない
貴方の見ている世界は、貴方だけの世界だ
私の世界も同じだ
私だけの世界だ
認識は無数にあり
空間と情報はシェアされたりもするが
一つの世界なる実体などどこにもない
あるのはただ、貴方の世界であり、私の世界だ
接続
世界とは接続の意思である
会話、接触、共同作業
しかし、どこまで行っても世界は幻だ
それが現実世界だ
天界はちがうらしいが、私は行ったことがない
自分だけの世界を楽しめれば、それを幸福という
世界平和を願ったところで、実体としての世界などない
世界には表と裏があるのよ、という名言
表と裏どころか、いわゆる世界など、どこにもないのだ
真面目に読んではいけない
チョプラの本を読んでパニックになっていた。その本をなぜか神聖なテクストだと思い込んでいた。真面目に読み、実践した。ただ、途中でついて行けなくなった。そして、パニックになった。
私には信仰はない。聖典もない。自然な生き物として、ただ生きる。使命。そんなものは無い。あるとすれば、生きるとは楽しむことだという真理を実践すること。それだけで良い。
瞑想は悪くない。ただ、そこから高次の意識が得られるとか、霊からのメッセージが得られるという妄想(あるいは空想)は持たない方が良いだろう。もっと気楽に。ケ・セラ・セラだ。
コンビニに行って角ハイボール濃いめを買ってきて飲んだ。この味が私の定番だ。この味が良いのだ。1日208円+税。喫茶店のアイスコーヒーより安い。これが、今の私の一番の癒しだ。ただし、飲み過ぎはしない。1日に350ml缶を1本。それだけだ。
瞑想は続けよう。ただし、カジュアルに行こう。ありもしない、あるいは険しい真理などとは無縁でいよう。
私は、いつだって幸福だ。