白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

異次元への飛躍

芸風を変えてみよう。俺は超のつく俗物だ。知的劣等感の塊だ。性的には劣等感を越えて不能者だ。社会的には底辺だ。ふむ。告白したな。よしよし。

でだ、結論は面白くなければブログではないだ。内容はともかく、面白いかどうかがすべてだと今頃気がついた。まあ、何が面白いかは人それぞれだが。

21世紀になってから10回入院した。俺にとって病院は居心地の良い場所だ。女医さんは美人だし、看護師はセクシーだ。ふむ、これは顰蹙だな。俺が有名人なら炎上するな。ああ、有名人になりたいような、なりたくないような。躊躇い。これが俺の悪い癖なんだ。そうかな。

次世代文明。どこで、そんなものに憑りつかれたのだろう。現代文明の胡散臭さに嫌気がした。なんて単純なんだ。ただの馬鹿じゃん。

ああ、異次元への飛躍だったな。薬で知能が低下し、貧困で本も買えなくなった私は、やることがなくなりました。ええ、どうするの。

だから異次元に飛躍するのです。例えば、今まで以上に意味不明な詩を書く。

いや、違うな。考えたら負けなんだよ。痛いな。

フロンティアが必要だな。キッチュでナードなのが好みなんだけど、その知性は失われたな。やっぱり復活しかないのか。知的劣等感にか。それも嫌だな。

で、なんで俺は今、ブログを書いてるんだ。何かを求めているんだろうな。異次元への飛躍とか。

わかった。みんな世界で生きているんだ。だから世界が大切なんだ。僕たちは世界に関わっているんだ。ふむ、小学校以前だな。退化もここまで来たか。

意識の次元。何次元あるのだろう。昔の方が、確実に次元が高かった。ここは衰退ブログか。そうはしないぜ。異次元に飛躍するんだ。

貧困層による貧困層のための哲学とかね。

ああ、貧困から脱出したい、と思ったらダメなんだ。貧困、楽しいよ、やめられないね、になるのが幸福。幸福なる貧困を目指すか。現実的だ。

予備選考で落ちてしまった

詩と思想新人賞」の発表が行われた。私の「愚者の祈り」は予備選考で落ちたようだ。応募総数210。まあ、難解な詩が好まれるようだ。ちょっと損をした感じ。それも経験だろうか。

 

高プロラクチン血症に悩まされている。リスパダールの副作用だ。性機能障害(射精・快感障害、勃起力低下、性交不能等)が症状だ。これはキツイ。今日は頑張って久しぶりに射精したが快感はまったく無かった。また、精液特有の匂いも無かった。

 

もうね、生きていて楽しいことが無いんだよ。お金もないし。そうそう、同じ薬の副作用でレストレスレッグス症候群にもなっている。膝がムズムズして歩けないのだ。

 

さらに、不整脈と喘息。まずは体調を何とかしないと、生活どころでは無さそうだ。

 

さらにさらに、今日は上の階から水漏れ。管理会社が来て大騒ぎになった。損害賠償を請求できるのかな。

 

何となく真理に迫っている。貧困問題を考えるのは貧困ではない人だということだ。貧困になるということは問題意識を失うということだ。そう断言して良いかどうかは分からないが、私はそう感じている。

 

つまり、私は問題意識を失ってしまった、と。悲しい現実。復活はあるのか。お金あっての命ですよ。それが真実。

 

走馬灯

走馬灯。死を覚悟した瞬間に去来すると言われる目くるめく過去の記憶。今日はそんな気分だから。

高校を中退した。バイトと麻雀で忙しかったから。白い目。カウンセラーは大検から大学へ行けと言った。家出した。東京の親戚の家に居候した。大検に受かり大学に進学した。

それからは、将棋、麻雀、競輪。不倫はしなかった。初めての恋人。遊び人から一転して、国家公務員上級職を目指した。すぐに挫折し、民間企業に就職した。

須磨でヨット。毎週、海でクルーザーに乗っていた。

ネオン街。大好きだった。

1回目の結婚。愛は無かった。

東京。なぜか労働組合の書記長になった。病気になり離婚した。1回目の結婚は3年で終わった。

ある時、私は自分がノストラダムスの予言した世紀末の大王ではないのかという妄想が生まれた。大論文を書く。マジだった。休日は専門書を読み漁った。懸賞論文に応募しまくった。大王らしくないな。しかし、明らかに精神病だった。違うか?

管理職への昇進。2回目の結婚。新居の購入。長女の誕生。

順風満帆のはずが、突然の単身赴任。そして、壊れた。

荒れた。40代は記憶をねつ造して遊び倒したということにしてある。実際、あり得ない遊びをした。家族には悪いことをした。もう遅い。3年前に離婚したのだ。

走馬灯。銀座の寿司屋でのF氏との会話。N氏邸でのポーカー。超豪邸での花見。歓楽街を徘徊した日々。1ケ月連続麻雀。バーを借り切ってシャンパンと寿司でパーティー。会社の美女に囲まれての高級焼肉。語り尽くせないYさんとの日々。

Y君のことを思い出した。会社を辞めたら生活保護だぞ、と言った奴だ。即、電話帳から削除した。

恨めしいのは障害者になってからだ。50歳で会社を辞め、事件があり入院。51歳で障害者になったのだ。(年金、手帳)ここにMという行政の相談員が登場する。自己主張の強い馬鹿だ。喫茶店は贅沢だとぬかした。本を買うのは贅沢だとぬかした。ああしろ、こうしろ、自炊しろ、家賃の安いところに引っ越せ。いい加減にしろという奴なので、最後にお灸をすえておいた。

母への恨みは書くと長くなるので省略。

弱っている。記憶も薄らいできた。美味しかったのは元妻の実家でいただいた鮑のステーキ2枚。三陸直送だった。311前の話だ。元妻には香港にも連れて行ってもらった。日光にも行ったな。俺はダメな男だ。

喘息。この持病が無ければな。

精神病の話は書くと長くなるので省略。

どこで道を間違えたのかな。2011年7月に母が起こした事件。あれがすべてか。そこから一気に転落しましたとさ。

それにしてもなんだな。意識が朦朧としているな。この3年、まったく知的活動をしていないんだ。薬で知能が低下したんだ。いまも、リスパダールを1日5ml。やってられないぜ。

走馬灯のような男と女の話は書けないな。胸の奥に。

黄金の40代か。嘘っぱちだが、まあ良いか。転落の50代。復活の60代。シナリオは出来てるじゃないか。

死ぬ前に一人だけ会えるとしたら誰に会いたい?

元妻だな。不思議なことに。俺の愛が足りなかったんだ。なにを今頃。

それにしても支離滅裂な走馬灯だな。

無理するなよ。これが実態だ。大いに悲観しろ。

障害者は健気(けなげ)であるべきか

私が精神障害者手帳を取得したのが51歳の時。あれからもう5年になる。

障害者になったことにメリットはあった。家事のヘルパーさんが来た。バスが無料になった。その他、各種サービスが受けられるようになった。

デメリットもある。今頃気が付いたのだが、もう一般就労は無理だろう。貧困が確定した。

最近は厚生労働省の障害者総合支援法の理念から生まれた施策がシステム的に全国展開されている。地域活動支援センターという、障害者等を通わせ、創作的活動又は生産活動の機会の提供、社会との交流の促進その他の厚生労働省令で定める便宜を供与する施設が各地にある。私も利用している。

そこで私もいろいろな障害者に出会う。症状も個性も様々だ。好き嫌いなど言ってはいけない。いや、思ってもいけない。全人格を尊重し、受け入れることが求められる。

今日は、みんな健気だということに気が付いた。健気(けなげ)。力の弱いもののかいがいしさ(真心がこもっている)が、ほめてやりたいほどであること。心がけが殊勝であること。

10年前には1兆円企業の戦士だった男が、急に健気になるのは難しいかもしれない。しかし、障害者の哲学の基本として、健気でなければいけないような気がしてきた。

障害者であることは非でもないし悪でもない。ただ、現実問題として福祉で保護されているからこそ生きていられるというのは大袈裟な表現ではないだろう。ならば、捻くれた思考など関係なく、感謝しても良いのではないか。いや、普通は感謝するだろう。

一方で、障害者になったことへの屈辱という気持ちもある。人によっては根の深い問題かもしれない。しかし、もはや勝負は終わっているのだ。チャレンジするならば、新しい土俵を見つけるしかない。

健気になれ。私は私にそう言いたい。そうすれば、みんなもっと優しくしてくれる。私は精神障害者。病気なら治るが障害は治らない。誰かがそう言っていた。

勝負は終わったのだ。不適切な表現だという人もいるが、これからは障害者世界を生きるのだ。社会との交流が対等でないことなど自明だ。健気になれ。とりあえず健気になれ。高い高いプライドは邪魔だ。風呂に入れ。