白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

地域活動支援センター

私が今の地活(地域活動支援センター)に行き出してから、1年が過ぎた。優秀な2名の女性スタッフ。片方は施設長だ。私には、この居場所がある。というか、ここしか無い。徒歩30分、頑張って歩く。行けば何かがある。話相手がいる。とにかく、私は人との交流に飢えているのだ。
昨日は白玉を作って食べた。今日は連句会だった。毎日プログラムがあり自由に参加できる。月曜日は8月生まれの人の誕生日会だ。300円でご飯とケーキが食べられる。毎日閉所前にはコーヒーとお菓子が出る。これは無料だ。素敵な場所なのである。
地活で知り合った障害者達。何人かは家に遊びに来ている。いろいろな人がいる。いろろな人生がある。競争とは無縁な世界。それが精神障害者世界ではないのか。
それにしても、どうして地域活動支援センターという名前なのだろう。きっと、地域・活動支援センターなのだろう。日本には有り難い制度があるものだ。
精神障害者世界を作って良いのか、一般世界と融合するべきではないのか、という意見もあるだろう。しかし、あまりにも違い過ぎるのだ。なにもかも、がだ。
こういう所に慣れると、一般世界に出られなくなる。障害者であることへの甘えが当然のこととして許される場所。居心地は良い。ただ、どこかで、これで良いのかという疑問もある。オアシス。それは幻ではない。

無一文の世界

日曜日
財布の中には、13円しかない
無一文だ
また、無一文だ
お金が入るのは週1回水曜日
家にあるのは
カップ麺、米、ふりかけ、卵
こんな貧乏は初めてだ
そして、こんな日が続くのだ
酒とタバコをやめられないのだ
酒とタバコを減らせないのだ
0円生活
この苦しみは自業自得だ
頭が腐っているのだ
週8千円の半分以上が酒とタバコ
狂っている
分かっている
変われ、変われ、自分
無一文の世界とは
おさらばしよう

詩を書く時間

静かな夜

爽やかな朝

落ち着けるカフェ

いずれにしても、詩を書くには時間がいる

そして、その時間こそが詩の内容そのものなのだ

詩において重要なのは透明度だ

透明感がなければ詩としていかがなものか

詩を書く上で重要なのは、詩を書く時間を作ることだ

静寂へと落ちて行く時間

本質が見え透いてくる時間

気分の安定

もちろん、怒りも、悲しみも、喜びもあるだろう

それらの感情も動くことをやめ

観察の対象になる

これは、詩を書くことをさぼっていた詩人の反省だ

書きたいときにはいくらでも書ける

しかし、それでは続かない

最低でも週1回は、詩を書こう

それには時間を決めることだ

毎週、日曜日

愚者の祈りを続けよう

詩そのものは作品だが

詩の醍醐味は詩を書いている時間にある

私は再び詩人になる

所持金がゼロの状態

10日金曜日にお金を使い果たし所持金がゼロになった。電話で友達に送金を懇願するも不調。11日から14日まで、所持金ゼロの日が続く。今日3日目だ。

食料は米とカップヌードル、ふりかけ。それだけだ。あとは水出し麦茶。これだけ追いつめられてもどこか平然としている。パニックにならない。

福祉関連のところからもお金は出ない。お金がない。それでも、食べ物がある。なら大丈夫といった調子だ。私は所持金ゼロなど初体験だが、世間では珍しくないらしい。

貧困とは、お金ではなく、食糧が尽きる心配をすることなのだとか。それにしても俺の当事者研究はラディカルだな。命がけだ。

なお、所持金ゼロとは、100円もない状態だ。しかも、タバコも酒もない。強制禁煙、強制禁酒だ。辛い。

しかし、家に食料と酒とタバコがあれば、所持金ゼロも大事件ではないように思えてきた。この、感覚のスリップが怖い。

この状態になって初めて、ご飯を炊いている。本当の生命線だと思う。

いや、これが今までの中で最高の、いや最低の底だろう。これ以上は勘弁してくれ。せめて納豆が欲しい。