白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

講演の打ち合わせを前に

私の講演会の企画が持ち上がっている。シリーズにしても良いという。明日は、第1回の打ち合わせ。議題は誰に何を伝えるかだろう。語りたいことは山のようにある。60分などで足りるはずもない。誰に、何を伝えるのか。あるいは伝えたいのか。一方的な思いだけを書いておきたい。

私は現在58歳。38歳の初診で、50歳まで民間企業に勤務した。在職中の入院4回は異例だと思う。

一番話をしたい人。それは現在、在職中、休職中の精神病患者だ。去るも地獄、残るも地獄という言葉がある。会社を辞めた後に住人となるであろう、精神障害者世界のことを伝えたい。そして、精神科医療に対するスタンスや、年金、手帳などのことを。

しかしだ、明日、話をしてみないと分からないが、講演の場は精神障害者の家族会になるかもしれない。そうなると、私の体験談も出てくるだろう。両親の離婚。私自身の離婚。父の家にも、母の家にも入れない現実。精神科医療信者の母。やりきれない、息子である私。患者が主治医ち対峙しているときに、中立ならまだしも、医者の側に立つ親というのは悲しい。

精神疾患とは何かを自らの体験から語るというのもある。面白い話かもしれないが、病気はそれぞれだ。あまり参考にならないかもしれない。

障害と貧困の当事者研究も進んでいる。誰が、どこに興味を持つのか。明日はそんな話になるのだろうか。

私の失敗は家族の絆が弱かったことだ。発病後の進路も相談者もなく自分自身で決めてきた。私はいま一人暮らしをしているが、病状からいえば、かなり無理があるのだ。

明日打ち合わせをする方からのメールに「目指すところ」という言葉があった。ふむ、文明の革新などと言ったら入院騒ぎかな。好奇心が無くなった、集中力が無くなった、想像力が無くなった、知能が低下した。回復に希望を見出すしかないのが現状。それでも、30分程度の講演は出来るだろうという判断だ。

どんな話になるのか。明日の打ち合わせが楽しみだ。

生きているという質感の回復

生きているという質感。それは質感を失って初めて気が付くものだ。私は発病から20年になるが、生きているという質感を失ったのは、2011年の冬のことだ。

突然、心がエアポケットに入った。それから、質感を味わえなくなった。感情の平板化とでも言うのだろうか。何も感じなくなってしまった。その状態は、2ケ月ほど続いた。

その時から、何かが違う世界を生きてきた。生きるとは、個として生きることではない。全体の一部として繋がりを生きることだ。私には、生きているという質感が欠けていた。どこか宙に浮いていた。大いなる転落の経験。精神障害者であるというアイデンティティ。社会の外側にいるという気分。これは、私ではない。そう思いながら生きてきたように思う。

それが今日、何もないのに、生きているという質感の回復を感じた。ようやく底辺に着地できたのかもしれないし、一時的な錯覚かもしれない。

いずれにしても、今、私は生きている。そう感じられる自分がいる。これは、いちばん大切なことではないだろうか。

失ってはじめてわかること。残されたもの。思い出に縛られるのは、もうやめよう。きっと新しい世界が見えてくる。そんな予感。

社会的成功という亡霊

先日、未だ私の中に、社会的成功という欲望があることを発見して驚いた。もっとも、成功と言っても大袈裟なものではない。普通に働き、普通に家族がいれば成功だ。

なに、その腐った思想。俺はそんなに腐っていたのか。

グダグダ主義宣言に書いた通り、私は文明の文法を離れ、社会から距離を置く、を実践してきた。成功だとか、幸福だとかいう語彙を否定してきた。なのに、いま、なぜ。

資本主義の罠だ。成長を欲望しないとエンジンは動かないのだ。それにしても私は、闇ブログで自分のエンジンが壊れていることを告白している。無理なのだ。もう、社会的成功は無理なのだ。

ああ、日日雑記だったな。抗酒剤のシアナマイドを飲みだして、21日目。21日間酒を飲んでいない。おかげで不安障害になって、ワイパックスという薬を飲んでいる。ハイボール代が浮くかと思ったら、ノンアルコールビールを飲んでいる。何も良いことはない。禁酒はやめるべきではないのか。

社会的成功。それは必要なこと。現代文明に関係のない動物世界の掟。負け犬宣言は虚しいだけ。路線を変更しようか。ああ、このブログ。何なんだ。

貧困からの脱出

私が貧困に陥ったのは、2015年である。これが貧困かと分かった気でいると、更なる貧困がやってくる。最初は金欠パニックで周囲に迷惑をかけたが、昨年は4日連続の無一文を耐えるなど、変化は見られる。しかし、方針は一貫している。それは、「貧困に慣れる」だ。しかし、この方針に、少し嫌気がさしてきた。

精神障害を抱え、病状の安定しない私に、普通の仕事はない。従って、貧困からの脱出方法は限られている。

1.宝くじにあたる

2.スポンサーがつく

3.ベストセラーになる

ふむ、限りなく薄いな。

もっと画期的な方法を思いつかないといけない。いや、その知恵が無いんだ。具体例が欲しいな。ソーシャル・ワーカーと相談だ。俗物精神科医は問題外。道はあるはずだ。