白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

精神障害者と人間の尊厳

台風が来ている。気圧が下がっている。喘息の調子が悪い。ヘルパーさんが来た。味噌ラーメンを作ってもらった。残した。

講演会の原稿をアップしたのだが反響がない。まだ、前編だ。後編で勝負だろうか。

俺は頭が狂いだした。ワンワンとピヨピヨだ。これは医師に禁止されている。人間の尊厳を大事にしろと言われたのだ。

人間の尊厳か。深い問いだな。精神障害者を区別する必要はない。いや、区別してはいけない。人間には人間の尊厳がある。それが建前だ。原理だ。原則だ。

じゃあ、犬には尊厳はないのか、となる。いや、あるだろう。犬には犬の尊厳があるだろう。それは、人間の尊厳とどう違うのか。俺には答えられない。

タイトルは凄いが中身が無いな。まあ、そんな日もある。お盆だ。許しておくれ。

2019白井京月講演会(前編)

こんにちは。白井京月。58歳です。よろしくお願いします。

今日は私の精神病体験をお話したいと思います。

1999年。38歳までは、普通の人生でした。大学を卒業し、大企業に就職し、結婚し、子供ができ、家を買い、管理職になる。絵にかいたような幸福な家庭。それが躁うつ病と診断されたことで一変します。当時、家族は東京にいて、私は大阪で単身赴任でした。長女を有名私立幼稚園に入れたからです。

発病から20年を過ぎました。経緯を振り返るのも長すぎますので、この20年を4つの時期にわけて、ざっくりとお話しておきたいと思います。

第1期は、初診から、50歳での自由定年までの12年間です。大学病院の教授が主治医になり、12年間単身赴任が解消されることは、ありませんでした。最初は大阪のマンションで一人暮らしでしたが、途中から母の住む実家で生活していました。残業はなく、単身赴任手当はある。仕送りはほとんどしない。金と時間を持て余し、遊び過ぎた、浮かれた時代でした。最後は、寛解との診断を受けていました。

第2期は、2011年7月、母にM病院に連れて行かれ入院となって以降です。医者に、2度と仕事は出来ない、早く生活保護になれと言われました。この話を内科医にすると、その人は医者以前に人間としてアウトだと言われました。フリーランスで生きるか、生活保護を目指すか、揺れていました。駅前にオフィス兼住居のマンションを借りました。そして、障害年金障害者手帳を取りました。役所の相談員の勧めでヘルパーさんを入れました。2013年には再起を目指すS医院に転院しました。しかし、上手くは行きませんでした。

第3期は、2014年9月、警察に保護されてT病院に入院して以降です。この時は無茶苦茶でした。数千万円の退職金は使い果たしていました。防衛省から25億円の報奨金が現金輸送車で届くと妄想していました。1週間、隔離されました。退院の条件として、家賃の安いところへの転居、半年は仕事をしないこと、母との和解の三点が示されました。私は意味が分からず、妻と離婚しました。転居しました。4ケ月の入院で、元のS医院に戻りました。盗難にあいました。廃業して、自己破産しました。S医院に見切りをつけK医院に転院しました。
訪問看護が入りました。就労継続支援B型事業所にも、少し行きました。地域活動支援センターにも行きました。2017年11月、生活保護の申請が通りました。

第4期は、2018年8月、金銭管理を安心サポートセンターに委託して以降です。2018年4月、とんでもない躁状態になりました。2ケ月に1度の年金を、ほぼ1週間で使ってしまいました。記憶がありません。解離性障害です。そこからは地獄でした、K医院ではダメだと、H医院に転院しました。修羅場をくぐって、安心サポートセンターとの8月の契約にこぎつけました。通帳と印鑑を預け、週8千円を受け取る。そういう話でまとまりました。

これが転落の流れですね。1日2000円と聞いて絶句していたのが、1日1000円になりました。再起など考えることもなくなりました。顔は毛むくじゃらで、着る服すらないのです。

薬の影響でしょうか、知能の著しい低下。好奇心と集中力の欠如。喜びの感情の喪失。人間としての劣化が進んでいます。

どうしてここまで転落したのでしょう。偏に、家族が無かったということに尽きます。相談相手が誰もいなかったのです。会社を辞めた時も、離婚した時も、自己破産した時も、誰にも相談しませんでした。事業も同じです。一人でした。

家族は薄かったです。私の責任ですが、元妻とはすぐに離婚の話がまとまりました。父は親切でしたが、新しい奥さんとのことで、私を家にはいれてくれませんでした。相談しても自分で決めろ。整形外科入院の保証人にもなってくれませんでした。母は、私をM病院に送った犯人です。私はこの件で、警察に監禁罪の被害届を出しました。不受理でしたが、母とはいろいろと確執があります。

孤独。両親も健在ですし、元妻も、実の娘も健在ですが孤独です。どこにも家族が無いからです。もっとも、それは珍しいことでは無いのですね。よくある話と言えば、それまでです。

思い出。そんなものを語っても意味が無いですね。それよりも、精神障害者世界に入るとはどういうことなのか、という情報の方が有益でしょう。

私は在職中には手帳も年金も取っていませんでした。フリーランスで生きるか、生活保護になるか、迷いに迷ったのが、第2期です。結局、障害年金を受けたことで、障害者としてのアイデンティティが生まれました。私は障害者なのだ。これは、第1期には、思いもしなかったことです。

さて、精神障害者世界とは何でしょう。それは、精神障害者と、その支援者からなる世界です。訪問介護がそうです。訪問看護もそうです。障害者就労継続支援のB型というのがあります。A型もあります。地域活動支援センターがあります。私は会社をやめるまで、その存在すら知りませんでした。驚きの連続でした。一般世界とは異なるもう一つの世界。それが精神障害者世界です。ここでは、一般世界の常識が覆されます。一つには金銭感覚が破壊されます。もう一つは障害者として、保護的に扱われます。それは、時として居心地が良いですし、時として居心地が悪いです。そしてもう、一般世界には住めないなという空気が出来上がります。

そうなのです。一度入ると出られない。それが障害者世界なのです。

夏休み前の通院

午前、精神科受診。犬の真似をするのはやめてください。人格を汚しているようなものです。そういうことは、やめてください。

1年以上通院して、ようやく回答があった。よく考える先生だなと思った。やはり、京都大学は違う。まてよ、前の主治医も京都大学だ。京都大学にも、いろいろある。

やはり、人は犬より偉いのかなどと考えてしまった。最近は、ワンではなく、ピヨピヨと鳴いてますとは言い出せなかった。これが精神科医と患者の距離であろう。

そう言えば、電話で不倫の相談が1件。難儀だな。

高校将棋部のHT氏に電話をすると、ご尊父様が亡くなられたとか。ご冥福をお祈り致します。享年90歳。合掌。

いよいよ、お盆休みか。就労継続支援B型事業所は、13日からやっている。今日はヘルパーさんが来る。抜本的な改善を求めている。打ち合わせだ。

明日は、ヤキソバか。大阪か。それは無いか。孤独。月曜日も予定なし。結局、飲むだけか。憐れだな。祝日はもちろん、大型連休は大嫌いだ。

訪問看護師も休みらしい。薬のセットも出来ないまま。大型連休は大嫌いだ。

ピヨピヨ、気に入ってるんだよね。もしかして、退行が進んでいるのか。脊椎レベルの問題ではないのか。違うか。

15日は高校将棋部OB会の餃子祭り。俺は無料だ。来週は、これを楽しみに生きるか。大袈裟だな。髭は剃ろう。

貧困の掟

キャッチーなタイトルだが、私が書くにはおこがましいタイトルだ。しかし、無理を通せば道理は引っ込む。とりあえず、いい加減だが書いてしまえ。そう、貧困とは何かを定義することもなくだ。いや、むしろ、この10ケ条がメルクマールになるかもしれない。ふん、酔っぱらっている日曜日だ。焼き糞だ。書こうじゃないか。

 

■貧困の掟10ケ条

1.1円を笑うな

  間違っても寄付などするな。貯金箱に入れるならよし。お金は1円からだ。

2.貧困世界に溶け込め

  貧困には貧困の世界がある。そうすれば、1食100円などの機会に恵まれる。とにかく、貧困世界を馬鹿にするな。貴方も貧困なのだ。排除されたら終わりだ。

3.非常時の友達を持て

  どうしようもなく行き詰まった時に、1万円を貸してくれる友達を持て。

4.過去のバブリーな経験を話題にするな

  1食1万円以上の豪勢な食事、寿司や、フレンチ、ステーキなどを話題にするな。

5.喫茶店に行くな

  ただし、奢ってもらう場合は行っても良い。

6.缶コーヒーは飲むな

  100円は大金だ。ディスカウントショップを調べよう。

7.飲酒厳禁

  経済的問題だけでなく、健康にも悪い。ただし、奢ってもらうならOKだ。

8.禁煙せよ

  貧困で喫煙。あり得ない。

9.連帯

  貧困仲間との連帯感を大切にしよう。

10.定着

  貧困から脱出しようなどと考えると墓穴を掘る。

同情や憐みは必然だ。それを不快に思うようでは甘い。貧困の掟。100まで書く時が来るかもしれない。もう、逃げられない・・・ような。