白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

幸福と社会的評価

精神障害者に幸福はあるのか。そんな事を真剣に考え、悩んでいた。もしかしたら、精神障害者になることが不幸なことであり、幸福は何も無いのではないか。そんな風にも考えた。精神障害者になるとは、社会の外側に出ること。または、精神障害者世界を生きること。そこに幸福などあるはずが無いとも思った。

はて、幸福とは何だろうか。これは私の傾向もあるが、近代が抱えている一つの病として、社会的評価を得ることこそが幸福だという観念による。良い仕事をする、年収が高い、社会から評価される、だから幸福だ。勝負の世界も同じ。勝てば幸福、負ければ不幸。うむ、病んでいる。これこそが病理だ。

社会と幸福は関係ないの。価値観もどうでも良い。美味しいものを食べれば幸せでしょ。幸福は日常の中に溢れている。多分、気がつかないだけ。

自分自身の幸福概念の構造を知ること。偏り過ぎないこと。私はこの文章を反省の意味で書いた。ブログのランキングも購読者数も一種の社会的評価。気にするな。コメントが無いと嘆くな。目標のあり方を見直せ。楽しければ幸福。それで悪いか?

 

余命は1年とない

余命はどのくらいですか。1年はもたないでしょうね。今日、N医師から出た答。何も思わない。こんな状態で生きていても意味がない。死ぬならそれで良しだ。

考えるのはお別れ会の企画くらいか。家族、将棋部、バックギャモン、福祉関係。4回はやりたい。

余命1年には、いろいろな反応があった。私もそう思う、から、そんな事を言う医者はダメだめだ、まで。病名、心不全。そういうことだ。

アルコールっはやめた。しかし、タバコがやめられない。タバコをやめてまで、生きていてもね。

この世界に未練はない。生にも未練はない。

願いはただ一つ。苦しまずに死ぬことだ。

今年2度目の入院

令和4年4月1日から、14日まで、西宮渡辺心臓脳・血管センターに入院していました。心不全による緊急入院です。

利尿剤を使い、体重は72.5キロまで落ちました。

今年、2度目の入院です。1度目は、3月17日から3月25日。神鋼記念病院でした。

完治しての退院ではありません。入院に耐えられなくなっての自己退院です。退院しても入院時の生活を続けるように言われえています。特に水分は制限しないといけません。

もう、入院は難しいです。頑張らないといけません。今日は書く気力もありません。ここまでです。