走馬灯
走馬灯。死を覚悟した瞬間に去来すると言われる目くるめく過去の記憶。今日はそんな気分だから。
高校を中退した。バイトと麻雀で忙しかったから。白い目。カウンセラーは大検から大学へ行けと言った。家出した。東京の親戚の家に居候した。大検に受かり大学に進学した。
それからは、将棋、麻雀、競輪。不倫はしなかった。初めての恋人。遊び人から一転して、国家公務員上級職を目指した。すぐに挫折し、民間企業に就職した。
須磨でヨット。毎週、海でクルーザーに乗っていた。
ネオン街。大好きだった。
1回目の結婚。愛は無かった。
東京。なぜか労働組合の書記長になった。病気になり離婚した。1回目の結婚は3年で終わった。
ある時、私は自分がノストラダムスの予言した世紀末の大王ではないのかという妄想が生まれた。大論文を書く。マジだった。休日は専門書を読み漁った。懸賞論文に応募しまくった。大王らしくないな。しかし、明らかに精神病だった。違うか?
管理職への昇進。2回目の結婚。新居の購入。長女の誕生。
順風満帆のはずが、突然の単身赴任。そして、壊れた。
荒れた。40代は記憶をねつ造して遊び倒したということにしてある。実際、あり得ない遊びをした。家族には悪いことをした。もう遅い。3年前に離婚したのだ。
走馬灯。銀座の寿司屋でのF氏との会話。N氏邸でのポーカー。超豪邸での花見。歓楽街を徘徊した日々。1ケ月連続麻雀。バーを借り切ってシャンパンと寿司でパーティー。会社の美女に囲まれての高級焼肉。語り尽くせないYさんとの日々。
Y君のことを思い出した。会社を辞めたら生活保護だぞ、と言った奴だ。即、電話帳から削除した。
恨めしいのは障害者になってからだ。50歳で会社を辞め、事件があり入院。51歳で障害者になったのだ。(年金、手帳)ここにMという行政の相談員が登場する。自己主張の強い馬鹿だ。喫茶店は贅沢だとぬかした。本を買うのは贅沢だとぬかした。ああしろ、こうしろ、自炊しろ、家賃の安いところに引っ越せ。いい加減にしろという奴なので、最後にお灸をすえておいた。
母への恨みは書くと長くなるので省略。
弱っている。記憶も薄らいできた。美味しかったのは元妻の実家でいただいた鮑のステーキ2枚。三陸直送だった。311前の話だ。元妻には香港にも連れて行ってもらった。日光にも行ったな。俺はダメな男だ。
喘息。この持病が無ければな。
精神病の話は書くと長くなるので省略。
どこで道を間違えたのかな。2011年7月に母が起こした事件。あれがすべてか。そこから一気に転落しましたとさ。
それにしてもなんだな。意識が朦朧としているな。この3年、まったく知的活動をしていないんだ。薬で知能が低下したんだ。いまも、リスパダールを1日5ml。やってられないぜ。
走馬灯のような男と女の話は書けないな。胸の奥に。
黄金の40代か。嘘っぱちだが、まあ良いか。転落の50代。復活の60代。シナリオは出来てるじゃないか。
死ぬ前に一人だけ会えるとしたら誰に会いたい?
元妻だな。不思議なことに。俺の愛が足りなかったんだ。なにを今頃。
それにしても支離滅裂な走馬灯だな。
無理するなよ。これが実態だ。大いに悲観しろ。
障害者は健気(けなげ)であるべきか
私が精神障害者手帳を取得したのが51歳の時。あれからもう5年になる。
障害者になったことにメリットはあった。家事のヘルパーさんが来た。バスが無料になった。その他、各種サービスが受けられるようになった。
デメリットもある。今頃気が付いたのだが、もう一般就労は無理だろう。貧困が確定した。
最近は厚生労働省の障害者総合支援法の理念から生まれた施策がシステム的に全国展開されている。地域活動支援センターという、障害者等を通わせ、創作的活動又は生産活動の機会の提供、社会との交流の促進その他の厚生労働省令で定める便宜を供与する施設が各地にある。私も利用している。
そこで私もいろいろな障害者に出会う。症状も個性も様々だ。好き嫌いなど言ってはいけない。いや、思ってもいけない。全人格を尊重し、受け入れることが求められる。
今日は、みんな健気だということに気が付いた。健気(けなげ)。力の弱いもののかいがいしさ(真心がこもっている)が、ほめてやりたいほどであること。心がけが殊勝であること。
10年前には1兆円企業の戦士だった男が、急に健気になるのは難しいかもしれない。しかし、障害者の哲学の基本として、健気でなければいけないような気がしてきた。
障害者であることは非でもないし悪でもない。ただ、現実問題として福祉で保護されているからこそ生きていられるというのは大袈裟な表現ではないだろう。ならば、捻くれた思考など関係なく、感謝しても良いのではないか。いや、普通は感謝するだろう。
一方で、障害者になったことへの屈辱という気持ちもある。人によっては根の深い問題かもしれない。しかし、もはや勝負は終わっているのだ。チャレンジするならば、新しい土俵を見つけるしかない。
健気になれ。私は私にそう言いたい。そうすれば、みんなもっと優しくしてくれる。私は精神障害者。病気なら治るが障害は治らない。誰かがそう言っていた。
勝負は終わったのだ。不適切な表現だという人もいるが、これからは障害者世界を生きるのだ。社会との交流が対等でないことなど自明だ。健気になれ。とりあえず健気になれ。高い高いプライドは邪魔だ。風呂に入れ。
回復はあるのだろうか
私が重篤な精神疾患で、治療中であることは以前から公言している。主治医に言わせれば、今は安定しているそうだが、私はこれでは困るのである。
好奇心を失い、問題意識が無くなり、思考力と集中力が無い現在が安定している? それでは、そこらへんのオッサンじゃないか。
さらには、文章を書いていた時が躁状態だったんじゃないですか、とまで言われた。ならば、いったい私は誰なんだ。過去の人格の全面否定だ。
貧困も相まって、何もできない状態にするのが精神科医療の「仕上げ」なのでしょうか。冗談ではない。
私は知能の回復を望んでいます。
私は思考力の回復を望んでいます。
私は経済的な回復を望んでいます。
精神科医療はこれらの希望に応えるつもりは無いと言うのか。
ゆっくりで良い。何とか回復したい。そうでないと、そこらへんのオッサンじゃないか。認めがたい。主治医は凡庸を目指せという。凡庸にも幅がある。
まあ、妄想を伴う躁うつ病に統合失調が混じってきた。昔のように回復することはないだろう。ただ、別の回復があると思う。もう、祈るだけだ。
ワンワンと鳴いて、統合失調を装っている場合ではない。本当に別人格が出て来る予感がしている。人格論。人格は時と共に変容するだろう。ワンワンが出るのは、今の人格が本来のものではないことへの警告かもしれない。回復には、まだ時間がかかりそうだ。