白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

指標としての文化的支出

フィールドワークとして自ら貧困層に転落して分かったことがある。

生活費にすら余裕がなく、文化的支出が無くなるということだ。

本は買えなくなるし、交際費もない。ちょっと喫茶店で話をするお金すら無いのだ。

福祉の世界では、それを庶民と言い換えて誤魔化すのである。

文化的支出の定義は難しい。酒やタバコが文化的支出だとは言い切れないが。遊興費は明らかに文化的だ。何も、クラシックのコンサートを聴きに行くだけが文化ではない。

この、文化程度によって付き合う人間が変わってくる。そこから格差が生まれるのだ。

生活費の中にも文化的要素はあるだろう。松茸とかの贅沢な食事。過剰なまでの衣類。家計を分析するには、実際の生活費から標準的な生活費を引いたものは文化的支出に繰り入れれば良い。

いま、しきりにミクシィで格差と貧困について議論しているが、貧困線の上か下かという単純な問題ではなく、資産があっても、いずれ貧困線の下にくる人たちが数多く存在していることが明らかになった。そして、多くの人が将来に不安を感じていることも。

豊かさの指標は、この文化的支出の大きさだと言えるのではないのか。そういう研究をしている社会学者は少なくないのだろうが、メディアに出て来ないと、なかなか一般人は論文にまで目を通せない。

私の今の文化的支出は、同人詩誌の会費、川柳の会の会費と交流会。それくらいだ。本は買わなくなったどころか全部売ったし、前に行っていたサークルには行けなくなった。もちろん経済的事情である。そして何よりも交際費が無くなった。

中間層には2種類ある。

一つは貯蓄などせず、文化的支出に熱心な人びと。

もう一つが、節約して貯蓄に熱心な人びとだ。

私はどちらが良いと言うことはできない。ただ文化的支出の大きい社会ほど成熟した豊かな社会なのだと思う。

そのために日本がすべきことは、セーフティーネットの充実だ。そうしないと、安心して働けないし、遊べないじゃないか。え、ポケモンGOをやれ? みんなに言われる。