白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

雇用の崩壊と社会制度

時代の流れだ。もはや誰もが同じような労働にありつける時代ではない。雇用という仕事の形態そのものが、脆くも崩れ去ろうとしているのだ。

 

もはや国家には、雇用を提供するだけの能力はない。それでも、ニートや障害者の雇用を促進しようとするのは、その支援作業自体で組織が生まれ、雇用が生まれるからだ。体裁は良いように見えるが、税金の垂れ流しに過ぎない。

 

社会保障費の増大などと言うが、その金は医療や福祉、外郭団体や社会福祉法人に流れる。困窮者が直接受給しているのは一部だ。こうした実態は白書などには書かれない。真相は調べようとしても調べにくいように工夫されている。利権の巣窟なのだ。

 

ああ、グダグダだな。雇用の話だった。

 

課税当局としては雇用というのは実に明瞭で、徴税にとっては最高の制度だ。これが、フリーのコンサルタントなどになると、売上が1億円あっても平気で赤字申告する奴がいる。だいたい、売上の捕捉が難しい。税収確保の観点からは、雇用が良いという、おかしな議論になる。

 

今は、個人事業主になる力量があれば、これは一番有利だと思う。それだけではない。委託形式のフリーランスやら、稼ぎ方が多様化している。モニター業すら成立しているようだ。会社勤め=仕事という図式は、もう古いのだ。

 

人口減少、少子高齢化の日本で、良質な雇用を拡大することなどできない。この状況に対応した政策が必要になる。一つが税制改革で、もう一つが社会保障制度改革だ。

 

私は、もういい加減、雇用を前提にするのは辞めるべきだと思う。労働という言葉も好きではない。単に、仕事で良い。非雇用型の仕事を充実させることが重要なのではないのか。税制は消費税を上げて対応するしか無いだろう。

 

ニート、障害者、高齢者の問題がある。馬鹿な連中は彼らを労働力にしたいようだが、仮にそうなったとしても、彼らの得る収入よりも、施策の立案と実行にかかるお金の方が大きいという馬鹿馬鹿しい結果に終わるだろうし、現実がそうだ。そうした発想こそが税金の無駄遣いなのだ。

 

相対的貧困を解消するだけの文明力は、今の日本にはない。問題として深刻なのは、相対的貧困内格差なのだ。金銭管理能力の無い人に、生活保護費を渡しても、タバコと酒で病死する。生活保護という制度を知らない人もいるし、役所まで歩いて行けない人もいる。優しい行政もあれば、悪徳行政もある。地域間格差は本当に大きい。

 

それにしてもブラックな雇用はいかんね。人間がブラックになる。そんな雇用なら作らない方がマシだ。

 

統計を分析していないので申し訳ないが。被雇用者/就労人口/労働力人口の構成比の推移に注目だ。正規、非正規というおかしな分類もある。昨年、ハローワークに行った時に「目指せ、正社員」というポスターがあったのには笑った。「なんで?」と聞きたかった。それは、正社員が増えれば政府は安心できるからだ。いや、これは冗談ではなく最大の理由なのだ。

 

状況は変わった。高齢者は未だに高度成長期のメンタリティを保持している。だめなんだよ。状況の変化に対応して社会制度を変えないと。その前に、物の見方、常識を変えないと。文明の文法を解体しないと。ね。