白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

あけおめ

遅くなりましたが、新年、明けましておめでとうございます。

 

昨年より、身体トラブル、システムトラブルが発生しておりましたが、3月には復旧の見込みです。いま暫くお待ちください。

 

それにしても、マハルシの言う真我とは、想念の統一であり、受動的であり、植物的なものだと悟りました。そして私は般若波羅密多心経に至りました。戒律などどこにもない自由な世界。それもまた真我でしょう。

 

2017年はみずがめ座、アクエリアスの年です。私はアクエリアス。さあ来い、56歳の誕生日。

 

ある人は、50代は中年、60代は高年、70代は老年だと言いました。まだ中年なのか。目標とする「可愛いお爺ちゃん」には、あと15年以上あるのかと溜息も出ます。

 

大事なのは、焦らず、ゆっくりと進むこと。決して、自分を責めないこと。

 

こんな感じで、新年のご挨拶とさせていただきます。

 

 

喫煙リラックス瞑想法

瞑想家としては、独自の瞑想法をいくつか持つ必要がある。

以前のエントリーで煙草を吸っていても瞑想していなさい、という話があったが、煙草は瞑想の格好のツールだ。

現在では煙草は健康に悪いというのが定説だが、長寿者に喫煙者が多いのはどいう訳か。私は喫煙歴40年だが肺がきれいだ。要は吸い方であり、吹かすようにして肺に入れなければ問題ないのである。

煙草というリラックスのツール、人類の大発明を利用しない手はない。リラックスして想念を一つにする。僕は煙草を吸う人が好きだ。次の結婚相手は、絶対に喫煙者にしようと思っているくらいだ。

因みに私は喘息を煙草で治す。発作が出ても吸う。それが瞑想法だからだ。

三流の医者は煙草を辞めないと喘息は治らないというが大嘘だ。現に私は治っている。

2016年の終わりに、一つの新しい瞑想法が出来た。

何も煙草嫌いの人が無理をしてこの方法を採用する必要はない。

般若心経的思想で戒律の無い瞑想理論を目指す。タブーは法律をき何もない。

では皆様、良いお歳をお迎えください。

2017年は次世代文明元年となるのでしょう。ではでは。

私は昔から瞑想家だった

2年と少し前、私は「新しい物語」という詩を書いた。

もう、人生に物語はいらない。喫茶店でアイスコーヒーを飲んで煙草をふかしている日常があればそれで良いと書いた。

私はいつも、そうしていた。本や新聞を読むでもなく、スマホをいじるのでもなく、ただぼーっとしているのが好きだった。いま思うと、これが瞑想だった。これが真我だった。

想念が乱れないこと。私は10代の頃から瞑想家だったのだ。

ただ、これが崩れることがあった。その要因が楽しさと忙しさだった。つい、何かに夢中になる。節度が守れなくなる。課題は熱狂の克服、節制ということだろう。

悟りを得てからも修行は続く。

瞑想家に終わりはない。