白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

適切な思考の重要性~お気楽革命

私は5年前に、こんな文章を書いている。

「お気楽系」とは脳天気のことではありません。もちろん、能天気な人に「能天気をおやめなさい」と言うつもりもありません。そんな干渉はよくない。また、脳天気な人ならば、この文章を読むこともないでしょう。

「お気楽系」とは、余裕のあるしなやかな構えです。おかしな成功幻想に駆られることも、精神世界に救いを求めることもありません。いわば、現代における成熟。それが、「お気楽系」です。

「お気楽系」から連想される言葉。それは「しなやかさ、自然な、自由な、生き生きした、みずみずしい」といったものです。あるいは「奔放な、余裕がある」といった言葉を付け加えてもいいでしょう。定義として曖昧だ、と怒られるかもしれませんが、真面目過ぎないというのもお気楽系の特徴なのです。

さて、なぜいま「お気楽系」なのか。これは、現代日本社会を分析したうえでの一つの結論です。いま、お気楽系が不足しています。そして、お気楽系が求められているのです。お気楽系が求められる背景には、以下のようなタイプの衰退があります。

1.人生設計という保守的な考え方が破綻した。
2.上昇志向の空気が薄まり、閉塞感が漂っている。
3.スピリチュアル・ブームにも陰りが見える。
4.おたく文化も行き詰まりを見せている。

生き方はいろいろあって当然です。むしろ多様であるべきでしょう。しかし、生き方の選択を間違えると自らを苦しめ、人生を楽しめなくなってしまいます。「お気楽系」も一つの選択肢。決めるのは自分自身です。

では、お気楽でいられるための一番の条件。それは自信です。では、自信とは何でしょう。ある事柄についての自信ならともかく、漠然とした自信とは何でしょう。漠然とした自信とは、多少状況が変化しても生きて行けるという見通しがあることです。つまり、将来がたとえ予定通りにならないとしも、「なんとかなる」という楽観的な態度。これが自信なのです。

もちろん、根拠があるかもしれない。健康であったり、技能があったり、対人能力に優れていたりといったことも要因になるでしょう。しかし、同じような能力、要因を持ちながら、同じような状況にありながら、自信が持てる人と持てない人がいます。それは単に、性格の問題なのでしょうか。答えはノーです。自信は思考トレーニングの賜物です。適切な思考を積み重ねることが自信に繋がるのです。

世界は常に不条理に満ちています。不公平も不平等も存在します。賄賂も犯罪も残忍さもあります。それは、受け入れ難いものですが、まずは、良い点にも目を向けて現状を受容することです。これは社会についてだけでなく、自分自身についても同じでしょう。

ある程度の寛大さをもって現実を受容したうえで課題を設定しない限り、いかなる批判や抵抗も望ましい結果を生むことはないのです。

繰り返しになりますが、お気楽の第一の条件は、適切な思考に基づく自信です。その基底には、現状の肯定的な受容がある。それは、決して批判精神を持たない「ことなかれ主義」ではありません。そうではなく、このような態度こそが、より本質的で鋭い批判や、意味のある問題解決を可能とするのです。

2013年11月19日 お気楽文化研究所設立準備委員会代表 ジェイ・ロバート

 ジェイ・ロバート時代のことだ。今よりは幾分、明晰だった。「適切な思考」いまはこれが欠けている。もう、俺は、お気楽に生きるのがベストなのではないのか。そうだ、お気楽革命を体現するのだ。
そんな訳で、朝から「角ハイボール濃いめ350ml」を飲んでいる。守護霊が酒に逃げろとうるさいからだ。おいおい、どこが「そんな訳で」なんだ。文章がおかしいぞ。
「適切な思考」だ。「思考の回復」だ。意外なことに、それが原点なのだ。さあ、思考しよう。

 

弱気の虫

弱気である。

「向精神病薬で脳が萎縮し、日常生活能力と金銭管理能力を失いました。仕事どころか社会生活を営むのも困難です。一人暮らしも無理だと思います」

これが決まり文句。いまは成年後見人を立てようとしている。永久入院の話も出ている。なぜ、急に弱気になったんだ。躁うつ病だから。それで良いのか?

瞑想の技術。そう言えば瞑想することも忘れていた。これが、弱気からくる気の迷いなのか。冷静で保守的で妥当な判断なのか。傷ついた私に必要なものは何か。

疲れ果てた私は
安易に主体性を投げ出して
楽になりたい一心で
何かを忘れてしまったようだ
まだ、迷いがある
基軸を忘れるな
いや、忘れてしまった
energy flow
流されてみるか
賭けだな
大きな賭けだな
諦め顔して
当分、入院か

頭がパニック

節約しているつもりだ。焼肉屋にも寿司屋にも行っていない。それでも金が無い。今も、そしてこれからもだ。

水道代、電気代が払えない。いや、タバコと酒と喫茶店が悪い。何だ。どんな生活をしろと言うのか。

頭はパニック。自分をコントロール出来なくなる。ワンとか、ウィーウィーンと喚く。末期的だ。永久入院的症状だ。

「主体性」これが鍵概念だ。私は長年、精神科医に主体性を明け渡してきたのではなかったか。あるいは相談員に、父親に、ケースワーカーに。いつから。そんなことはどうでも良い。過去の解釈は既に終わっている。大事なのは未来だ。

頭のパニックは夜、寝る前に発生する。対策が必要だ。禁煙は必須だ。今日は土曜日だ。どうする、俺。

今日は、出しお好み薬豚の紅しょうがトッピングだな。そうだ。愛ちゃんの日だ。贅沢の日だ。5月26日だ。

主体性。判断できない自分。成年後見人問題。予防的対策。家賃。通信費。借金。弁護士。頭がパニック。相談なんて気休め。終わりには手を伸ばさない。節約。冷静になれ。順番だ。優先順位だ。支離滅裂だ。

さあ、仕切り直し。

精神科の主治医

振り返ろう。私が38歳の発病以来、何人の精神科医を見てきたか。いや、多すぎる。主治医だけを追いかけよう。ただし、入院時を除く。どうなるだろう。

 

1.N1医師 町医者・・・数ヶ月

2.SA医師 産業医・・・約1年

3.YH医師 大学教授・・・約10年

4.YM医師 大病院・・・約1年

5.SK医師 町医者・・・約2年半

6.MK医師 町医者・・・約2年半

7.HH医師 町医者・・・約1ケ月

 

ああ、藪医者もいれば名医もいる。そして、主体性を奪う医者がいる。今日も弁護士に会う予定をキャンセルさせられた。いや、まだキャンセルしていない。行けば良いのだ。でも、アドバイスに従うのだ。どっちなんだ。

 

否定。のんびりしてくださいと言われた。4月から躁状態だった。断片的に記憶が飛んでいる。思考が断片的だ。成年後見人は妥当だと言われた。金欠パニック継続中。

 

精神科の主治医。よりかからないことが肝要だ。主体性を維持することだ。よりかかるなら精神科医以外にしよう。依存。依存する相手を間違えるな。最後の砦を確保せよ。