白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

会社を辞めると、うつは治るのか。

狂騒の企業戦士たちの中に入り、うつになる人は少なくない。うつになると、心療内科または精神科に通院させられて、例外なく薬をもらう。
治癒する例は少ない。多くの場合、休職から退職となる。周りもいろいろ言う。
「会社を辞めたら、うつも治るよ」
無責任な発言だと思う。私は寡聞にして会社をやめて、うつが治ったという事例を知らない。
一度、薬を使うと、断薬は難しいのである。
では、うつで会社を辞めたいという人に、どういうアドバイスが適切なのか。
それは個々の事例の問題であって、一律の答えは無いだろう。
会社を辞めたら、うつは治るというのは甘い。でも、辞めないよりは良いかもしれない。
多くを望んではいけない。苦しいなら辞めるべきだ。ボロボロにされる前に。

散髪をすると人相が変わる

日日雑記
前回の散髪が8月。2ケ月ぶりに散髪した。というよりも、2ケ月ぶりに髭を剃った。顔中毛むくじゃらの浮浪者の顔が、ツルンツルンになった。
それにしても、見事に知性を感じない顔が鏡に映った。嫌だよ、こんな顔。なんで、そんな顔になったのかだって。それは、知性が無くなったからでしょ。脳を使っていないからでしょ。
散髪前は髭で誤魔化していたが、小道具が無くなった感じだ。特に歯が無いので口許がおかしい。そして思った。
知性を回復させないと、顔は変わらないぞ、と。
そのためには、頭を使うことだ。インヴェガを減らすことだ。
でも、どうして知性の無い顔ではダメなの。
ふむ、それは理屈じゃないんだよ。最後の砦なんだ。僕はね、人格とは知性の結晶だと思っている。古い台詞だけどね。
つまらない価値観、つまらないアイデンティティかもしれない。
ここ数年、浮浪者風というセルフイメージでやってきた。ここに来て、脱却したくなったのかもしれない。まだ、揺れている。何しろ、人生に展望が無いのだから。
人は見た目が10割と言うが、見た目は内実を映し出すからね。
そんな訳で、少しでも頭を使うために、このブログも更新頻度を上げようと思う。
障害と貧困の当事者研究。書こう。とにかく書こう。書かないと始まらない。

物語が浮かばない

日日雑記。
9時になれば手数料なしで降ろせるのに、午前7時頃、コンビニで3千円を降ろした。小銭すら無かったからだ。タバコを買いたかった。
午前、ヘルパーさんが来た。御飯を一合炊いてカレーを食べた。地活に行く元気なし。配食サービスのお弁当は午後4時に来た。今日は肉じゃが。ただし、肉は入っていなかった。
ハイボールは、今日は4本。また無一文コースだ。それでも止められない。かなり危険だと思う。
数日前から、LINEをはじめた。これは楽しい。人間関係に変化が出るかもだ。グループにも入れてもらった。グループ通話も楽しい。SKYPE時代を思い出す。
神戸在住の作家。それが私のアイデンティティなのだが、最近は、さっぱり物語が浮かばない。向精神病薬の影響だと思う。本も読めない。
悲しくなるよ。これから何をする。今の日常で良いとは思えないのだ。私の物語はどうなるのか。このまま貧困に沈むのか。屈辱。いまは、それを感じる余裕もない。生活に追われるとは、こんなことを言うのだろう。明日は、見えない。

どん底を徘徊し何を考えるのか

落ちるところまで落ちた
まだ、家がある
金は無い、借金はある
精神障害者だから薬を飲まされる
そうすると、好奇心と集中力を失う
何をする意欲も湧かなくなる
いつまで、そんな薬を飲み続けるのか
半年か、1年か、3年か、5年か、10年か
何かをやりたいと思うが出来ない
地活に通うだけでは物足りない
かと言って、何も無い
再び小説が書けるという感覚がない
そして、今日も、1本、2本、3本とハイボールを飲む
明日のお金が消えて行く
また、無一文になるのだ
米はある
カップ麺が無い
ピンチだ
社会派の詩人だったはずだ
ここへ来て貧困に追われているだけになった
貧困を括弧に入れろ
それが出来ない
染みついた貧困は世界を遠ざける
目の前の食糧のことしか頭にないのだ
しかし、病状は変化うると思う
動く時が来るだろう
今はギシギシと日常をこなすので精一杯だ
悪友が来る
ハイボールを持ってやってくる
俺はハイボールに負ける
堕落した日常
健康にだけは注意しよう
病状は、きっと変化する
その時、何が出来るのか
その時、何がやりたいのか
今は、ただ耐えて凌ぐ
病状は、きっと変化する
そう思わないと、やってられない
何かが変わるだろう
そう思わないと、やってられない
今はまだ静養の時
焦ってはいけない