白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

4.黒い経済成長

いま、日本では成長戦略が話題だ。アベノミクスで日経平均株価は急騰し、円はついに百円台の円安になった。しかし、それを喜んでいいのは一部の人だけなのだろうと私は思う。

経済成長は全面的によいことで絶対に必要だというのは財界や御用学者の基本的な立場だが、若手評論家の荻上チキ氏や宇野常寛氏までが盲目的に「経済成長」という信仰を持っているのは残念だ。

真相を言えば、経済成長や途上国の開発というのは、世界の支配階級が政治的に練り上げたスローガンである。「成長」という目標に向かうことで人々に労働へのインセンティブを与える、この戦略は大いに成功した。しかし、その結果としてもたらされてのは、貧困と格差の拡大、そして社会と環境の破壊だった。悪い面を強調するとこういうことになる。特に20世紀というのは人類史上最悪の貧困の世紀だったし、途上国の絶対的貧困のひどさは誰もが知っている。成長の経済学は20世紀の遺物なのであって、これからは脱成長の経済学の時代なのである。

新自由主義という考え方で経済成長が仮に達成できたとしても、その恩恵にあずかるのは極めて一部の人で、中産階級はどんどんとグローバル貧困層になって行く。これが現在の世界的な潮流である。国民は成長戦略を支持することで、自分で自分の首を絞めているのである。

良識ある経済学者は、経済成長率という指標だけで経済を評価するようなことはしない。いま構想されているのは「成長なき社会発展」だ。日本語訳のある文献としては、セルジュ・ラトゥールの「経済成長なき社会発展は可能か?」(脱成長とポスト開発の経済学)などがある。EU圏では「脱成長」の経済学が主流に近いということは知っておいて欲しい。「経済学者には二種類の人がいて、一つは国民のための経済を考える学者。こういう学者 は市場の発する悲鳴に耳を傾ける。もう一つが資本家のための経済学者だ。」こう言ったのはエコノミストの水野和夫氏だった。

「批判ばかりではなく代替案を出せ」というのはよく言われることだ。これは簡単なことである。日本の場合、まずは雇用の質の改善である。最低時給を上げて、サービス残業を強制するようなブラック企業を公開するなど罰則を強化する。一方で、制度疲労をおこしている社会保障制度を抜本的に改革する。社会保障の機能を大企業から国家に移行する。解雇規制の緩和を行う。簡単なことだとは書いたが、代替案を示すのは簡単でも、実行するとなるとさまざまな既得権や利害調整が必要なので現実には大変だ。

宇野氏は「新しいリベラル」とか「日本のOSをバージョンアップする」というスローガンを掲げて活発に活動している。これは面白いい動きだ。宇野氏は、とにかく現実主義に徹してわかりやすいビジョンで多くの人の支持を得ることが重要だと考えているのだろう。そういうときに「経済成長なんて政治的に練りこまれたスローガンに過ぎない」などということは、思ってはいても言わない方が得策だという考え方もある。

しかし、ここはかなり重要な点で、経済成長がもたらす悪い結果群を多面的に評価する必要があることは間違いない。少なくとも経済成長率という指標だけで経済を見ているようではお話しにならない。財界や投資家 は株価急騰に喜んでいるけれど、アベノミクスは危険な賭けだ。カッコイイかもしれないが、そういうやり方が一番困りものなのだ。荻山氏は『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか』の中で、脱成長論として「清貧の思想」を取り上げていたが、あれは経済学ではない。方向違いにも程があるなと唖然とした。もっと経済学を勉強して欲しい。

いまの日本は、経済だけでなく、政治、外交、社会な どいろいろな面で微妙な時期、つまり極めて流動的な時期にある。それぞれ考え方も立場も違うだろう。ただ、メディアに洗脳されて自ら貧困化の道を選択する人が多いのは本当に悲しいことだ。メディアに操作されるだけの大衆は考える市民の敵である。過激な言い方だが、この現実は直視しないといけない。市民は権力に抵抗するのではなく、大衆を洗脳から解く努力をするべきなのだ。

経済成長を実現しても貧困層は増える。何度も繰り返すが、日本はOECD加盟国の中で4番目に相対貧困率の高い国で、どんどんと貧困率が高くなっている国だ。1番はアメリカだが、ここでも日本はアメリカを追いかけるのだろうか。エッ「1番じゃなきゃダメ」ですか?(笑)

(2013年5月10日)