白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

動植物と「衣・食・住」

10年ほど前、ミチヲという女性小学校教諭、というよりも明るいネーちゃんが、「衣類・食・住は人間としての基本。それができていない人は問題外」と言っていたのが印象に残っている。これは、ミチヲのご両親の言葉のようで、家庭教育の重要性と、影響力の大きさを考えさせられる話でもある。

 

常に身だしなみを整えておくこと。きちんとした料理を作り、きちんと食事をすること。家の周りや中を清潔に、そして美しく片付けておくこと。こう書くと、なんだかとてもハードルの高い目標のように思えてしまう私は「人間失格」なのかもしれない。

 

私のことなど、どうでも良い。そうではなく「人間として」という言葉の背後に、ヒューマニズム、すなわち「人間中心主義」があることは言うまでもない。だが、この「衣・食・住」という奴は、動物でも同じなのではないかという気がするのだ。

 

毛繕いをする鳥たち、獲物や餌に敏感な動物たち、丹念に巣を作る昆虫たち。少なくとも、衣食住を基本とするというのは、すべての動物に共通する特性ではないだろうか。

 

植物には脳がないが、それでも何故か、自然に適応する形で移動し、変化し、生きている。美しい花は衣の象徴だ。たくましい生命力を持つのは、水や土から養分を摂取しているからだ。そして土壌が選択できるのかどうかは別として、根はゆっくりと土壌を変えて行く。

 

激流の中の人間の文明も、進歩や発展、豊かさや合理性ではなく、衣食住という根本を見据えて、文化の意味を味わいながら、快適な生活を楽しむことに目を向けるべきではないだろうか。

 

「そうだ、まずは裸になって土の上で横になろう」と思ったが、近所には土と呼べるような土もない。それに、裸になったら猥褻物陳列罪とやらで警察に捕まるかもしれない。パンツだけは履いておこう。褌でも良い。