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家族観の多様化ではなく、家族の崩壊だよね

ニュースより・・・婚外子の遺産相続規定を「違憲」と判断した最高裁決定は、家族観の多様化などに伴い・・・

 

「家族観の多様化」だって?

ぜんぜん違うでしょ。そんなご立派な家族観を持っている人なんて、ほとんどいないでしょ。

 

日本では高度成長という流れの中で第一次集団としての「家族」が崩壊した。そして、自立とか個人という言葉に踊らされて「絆のない家族」が増えたんだよね。いまでは離婚なんて珍しくもないし、むしろ「問題があるなら離婚しましょう」という考え方の方が主流みたいだな。

 

家族とか家の崩壊という認識は一致していても、その評価はわかれる。だいたいの奴らは、個人的な体験から、個人的な感想を言っているだけなんだな。(まあ言説なんて9割がカスだから普通か・・・)

 

俺はやはり、社会学的見地から「利害を超えた第一次集団の意義」を歴史的に考察する。そして、当然のことだが社会の構成要素としての家族制度の急激な変化には大きな問題があると考えている。それは、個人における精神の自由の拡大であるどころか、個人の基盤の脆弱化であり、生きて行く環境が厳しくなっているということだ。

 

きっと、SNSとやらでのコミュニティやら絆が大きな論点になるのも、この家族崩壊の反動だろうね。

 

「はあ、現状理解には同感だけど、で、どうするの?」

賢明な読者はそう言うだろうな。問題はそこなんだよ。(笑)

 

こういう問題では、変化を食い止めようとする努力は無駄なんだ。家族も夫婦も親子も昔の関係とは違う。多様化などではなく絆が弱くなっている。必然的に絆が友達にシフトする。しかし、そこには家族とは違い法律や制度がない。定説もない。

 

きっと、いくつもの新しいタイプのコミュニティが生まれて、その中から優れたタイプのコミュニティが生き残り準制度化されるんだろうね。悪いタイプのコミュニティとしてはバカを集めて金をまきあげるような連中が支配するコミュニティだな。多いよね。

 

結局のところ、組織だとか、フォーマルなコミュニティには大した意味がなくて、蜘蛛の巣のような個人的なつながりが重要になるんのだろう。あ、今もそうなんだけど。(笑)

 

Facebookでの友達の数や、twitterのフォローワーの数というのはビジネスをやっている人以外には意味がないんだよね。そうではなく、最低一人できれば数人の、本音で語れる友人を大切にすることだ。ただし、友人を無理に仲間にしようとはしないこと。友人と仲間は違うからね。

 

いずれこの話の続きを書こう。

またね。