白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

ポスト民主主義

所詮、民主主義とは衆愚主義だった。1%の富裕層が99%の富を握る世界。それが現代文明の到達点となった。これからは、もっと恐ろしいことが起こる。国家が瓦解して行く。その先鞭がアメリカであり、日本であろう。国際資本が政治を動かすようになる。いや、すでにそうなっている。大衆の意識などメディアによって放たれるサブリミナル・インパクトでどうにでもなる。街を見ると良い。スマホというメディアにしがみつく人々でいっぱいではないか。

 

働かなくては食べて行けない人々が中流だって。冗談ではない、そんなものは常識とやらに洗脳された人の発想だ。中流はお金をどう使うかを考える。金持ちはお金をどう増やすかを考える。一つの国にまったく別の世界がある。平等、公平。いったい何の話だ。それは小さな世界の中での物語。この世界は断層でいっぱいなのだ。

 

ああ、ポスト民主主義だったな。開票前から結果の分かっている選挙などやる意味があるのか。そもそも政党政治というのが古臭いな。思想や信条、政策や問題意識で集まった政党など今はもう無いだろう。どの党に入れば当選できるか、ポストにつけるかしか考えていない政治家がほとんどだろう。国の未来より自分の未来。義務教育以降、そう叩き込まれた連中ばかりだ。過去に高潔な教師に出会ったことがあるか。はっきり言う。私は無い。

 

薄汚く聞こえるが、生き延びるために頑張れというのが底辺のメッセージ。そこから、社会の役に立てとか、立身出世とかいう話になる。真の意味で「志」を持って仕事をしている人が何パーセントいるだろう。1%もいないと思う。

 

政治家に投票するという代議制が時代遅れだ。直接民主主義のように、政策などをインターネットで投票し、人工知能が最適解を見つけ出し法案を作る。予算編成も省庁の駆け引きではなく、人工知能に計算させる。経済政策だろうが、福祉政策だろうが、人工知能が作る。人間は、そのための多少のオペレーションをするだけ。

 

こうなれば政治家はロボットで良いだろう。国会の中で歩いて、喋って、居眠りするロボット。時々、野次を飛ばす。いや、政治家の仕事は話をすることなのだが、今はメディアが喋るから政治家の存在意義が薄れてるんだな。マスコミは第4の権力というけれど、これほど愚かな権力はないよ。だって、基本はお笑いでしょ。

 

シャルタン・ムフは、民主主義とは討議ではなく闘技であり対決だと喝破したけれど、マスメディアは論点をごまかして、どうでも良い対決にすり替える。まあ、民主主義は崩壊するよ。東西冷戦を終わらせたのは衛星放送だったけれど、民主主義を終わらせるのは、テレビか、インターネットかもしれないと思う。yahooやmixiの低レベルのコメントを見ていると、もう終わってるよね。

 

志のある人も大変だ。いったい何を相手に戦えば良いのか。敵は大衆じゃないか。大衆型民主主義の自壊は目の前に迫っている。第二の政治が生れなければならない。それが、ポスト民主主義だ。数の理論から質の理論へ。真のシャドーキャビネットが必要だ。