白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

瞑想の環境

瞑想の環境って何だろう。

瞑想は、慣れてくると、いつでも、どこでも出来る。

問題は多忙だろう。

私もここ1週間、瞑想が出来ていなかった。ネットのやり過ぎだ。そこで、PCを定期保守に出すことにした。2週間ネットを離れる。もっともスマホは持っているのだが、基本的に外でネットをやるのは好きではない。

思えば、私は喫茶店でアイスコーヒーを飲んで、タバコを燻らせるのが大好きだった。あれは瞑想だったのだと今、思う。

そういう訳で、2週間ちょっとブログの更新は出来ない。お知らせまで。

親分からのメッセージ

今日、親分(会社社長、グル)からメールが来た。

数日前のエントリー「黒崎玄太郎研究所の業務内容」を読んで、そんな面倒臭いことはおやめなさい。瞑想を極めなさいと言われた。

グルに従うことは絶対だ。

瞑想を極めよう。

というのも、ここ数日、瞑想が出来ていないから問題だ。

私にはグルがいた。どこまでも従う。

瞑想状態とは

通常の覚醒状態が瞑想中のようであることは問題ないらしい。

ここでいう瞑想中とは、想念が一つになっている状態である。

瞑想は、いくつもの想念が浮かんでは消えて行き、想念が一つになり安定することで終わる。

日常でも、この言い知れぬ感覚であることは問題ではないのだ。

それにしても私はと言えば、ここ数日、忙しくて瞑想をしていない。

遺憾だが、それも自然。

自分を責めたりすることは、してはいけないのだ。

涅槃を生きる

何度か書いているが仏教的には修行により解脱すると涅槃を生きることになる。

昨日、先達から涅「槃に来ましたね。ここからがスタートですよ」と言われた。

嬉しかった。

私事になるが、退職から6年、劇的過ぎる転落を経験した。しかし、そのことも今は自由人の世界を生きるための通過儀礼だったように思える。

孤独になり、丸裸になった。

それでもまだ友達がいる。食べては行ける。部屋はある。有難いことだ。

今日も友達が来る。瞑想についての話をする。そろそろと動き出す。