アンダードッグとトップドッグ
超自己対話法を続けている。しかし、超自己と守護霊の対話はともかく、自己が超自己の言うことを聞かない。聞けないという問題が生じた。
これは、ゲシュタルト療法の祖、パールズが言っていた超自己(トップドッグ)と、自己(アンダードッグ)の対立に似ていないか。
昨日も、0時には横になれといわれたのに、0時40分に起き上がってしまった。
結局、超自己対話法の目標は自己と超自己の一致ではないのか。それが意識の次元を上げるということではないのか。簡単に言えば自己一致か。
Energy flowの復活だ。
超自己対話法の完成には、1年はかかると見積もっている。還暦まで、あと3年。なんとか還暦までに復活する。そう決めたのだ。
当分このブログは、Energy flowが続くと思う。中断していたチョプラのレッスンも再開する。それは守護霊と超自己の約束だから。
外部に作品を作るのではない。私が作品なのだ。マスターを目指す。今度こそは。
2018年の3月
重用な1ケ月だった。
高校のクラブのOB会があった。句会に行った。京都に行った。
小説「笑顔の監獄」を無理やり完成させた。(カクヨム)
MURAGONのブログを改造し、守護霊中島氏との対話の場にした。(場末泡沫の霊界通信)
私がサイバーテロから人類を救う刺激的な夢を見た。(文学秘密基地@白井京月/護国神社)
研究所のホームページを刷新し、超自己対話法の完成を目指すことにした。
おい、貧困と障害の当事者研究はどうなった。中止か。中断か。それこそ守護霊様と相談だ。大丈夫か、俺。
1年ぶりに本を読んだ。
「セラピスト」最相葉月
「火星の人類学者」オリヴァー・サックス
さあ、還暦までには回復しよう。まだ治療中だ.。
【追記】
重要なことを漏らしていた。私の人生は2014年で終わったと主治医と確認したのだ。いまは余生だ。生産的なこと、活動的なことは必要ない。そういうことだ。
精神科治療の代償
オリヴァー・サックスの「火星の人類学者」に次のような一説があった。
わたしはこれを読んで、躁うつ病だったロバート・ロウエルが抗鬱剤のリチウムについて話てくれたことを思い出した。「ある意味ではずっと『良く』なり、気分が安定しましたーーだが、わたしの詩はかつての力をだいぶ失いましたよ」テンプルもまた、気持ちを安定させるには代償を支払わねばならないことをよく知っていたが、この時期にはそれもやむを得ないと感じていた。だが、ときにはかつての情熱や熱狂をなつかしく思うことがあるという。
リチウムは抗鬱剤というより、気分安定剤だ。私は今も1日1200mgが処方されている。道理で何も書けないはずだ。情緒の安定。その代償が創作能力の喪失なのか。やめれば回復するのだろうか。それとも、もう、脳が変容しているのだろうか。
業績。治療しなかったからこそ業績を残せた偉人も多い。治療には代償がある。そして、精神科の場合、治療の目標は社会適応だ。生活の安定だ。
精神科治療の代償は大きい。一番の代償は自分らしさが消えることだ。みじめな生き方を受け入れることだ。
いまは早期介入が話題になっているが、いかがなものだろう。私は初診が38歳。50歳までは華やかな世界があった。もしも十代で精神科に行っていたならば、そんな人生も無かったように思う。
「わたしの詩は、かつての力を失いました」それでも、ロバート・ルウエルは書いている。私は書けなくなった。それはきっと、精神科の薬の代償だ。
悩ましい。某所に私の人生は2014年で終わったと書いた。今は余生だと書いた。それは素晴らしいと精神科医は言った。もう、新作は無理なのか。過去に書いたものを引っ張り出そうか。
もうひと花咲かせたい。そんな思いがちらほら出て来る。自主断薬してみようか。もちろん徐々に。