白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

精神科治療の代償

オリヴァー・サックスの「火星の人類学者」に次のような一説があった。

わたしはこれを読んで、躁うつ病だったロバート・ロウエルが抗鬱剤のリチウムについて話てくれたことを思い出した。「ある意味ではずっと『良く』なり、気分が安定しましたーーだが、わたしの詩はかつての力をだいぶ失いましたよ」テンプルもまた、気持ちを安定させるには代償を支払わねばならないことをよく知っていたが、この時期にはそれもやむを得ないと感じていた。だが、ときにはかつての情熱や熱狂をなつかしく思うことがあるという。

リチウムは抗鬱剤というより、気分安定剤だ。私は今も1日1200mgが処方されている。道理で何も書けないはずだ。情緒の安定。その代償が創作能力の喪失なのか。やめれば回復するのだろうか。それとも、もう、脳が変容しているのだろうか。

業績。治療しなかったからこそ業績を残せた偉人も多い。治療には代償がある。そして、精神科の場合、治療の目標は社会適応だ。生活の安定だ。

精神科治療の代償は大きい。一番の代償は自分らしさが消えることだ。みじめな生き方を受け入れることだ。

いまは早期介入が話題になっているが、いかがなものだろう。私は初診が38歳。50歳までは華やかな世界があった。もしも十代で精神科に行っていたならば、そんな人生も無かったように思う。

「わたしの詩は、かつての力を失いました」それでも、ロバート・ルウエルは書いている。私は書けなくなった。それはきっと、精神科の薬の代償だ。

悩ましい。某所に私の人生は2014年で終わったと書いた。今は余生だと書いた。それは素晴らしいと精神科医は言った。もう、新作は無理なのか。過去に書いたものを引っ張り出そうか。

もうひと花咲かせたい。そんな思いがちらほら出て来る。自主断薬してみようか。もちろん徐々に。