白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

アルコール依存と、にちぢょう

午前8時、地域活動支援センターでできた友人、K女史からの電話で目が覚めた。いけない。今日は訪問看護師が来る日だ。慌てて朝食後の薬を飲んだ。抗酒剤シアナマイドは飲まなかった。

私は、昨年12月にアルコール依存症と診断され、2月4日からアルコールをやめていた。なお、どうでも良いことだが、私が飲むアルコールとは「角ハイボール濃いめ」である。100日やめて区切りがついたと思い、シアナマイドをやめてハイボールを飲みだした。最初は時々だった。今週は火曜日から連日だ。

それにしても、私はアルコール依存症なのだろうか。医者は、お金が無いのにお酒を飲むのは依存症と言うが、私は飲まなくてもお金が無いのだ。朝から飲むのは社会的逸脱行為というが、それだけで依存症と言えるのだろうか。酒量は少ないし、酒乱にはならないのにだ。

そうだ。今日という、にちぢょうの話だ。訪問看護師が来た。ハイボールは飲んでいないことにした。地活のそばの喫茶店まで、車で送ってくれた。奢ってくれるのかと思ったら、それは無かった。

モーニング。アイスコーヒー。トースト、ゆで卵。K女史に来ませんかと電話をしたら、すでに作業所にいるという。会計を済ませ、私も作業所に行った。

ゴムの成型作業。使うのは鋏。使っているのは馬鹿。1個1円と聞いている。ブラックだな。そういう世界なのだ。管理者のMさんの指導のもと、私も作業をした。何回も行っているが、初めてのことだ。快挙だろう。

途中、抜け出して、地活と銀行へ。だんだんとアルコールが飲みたくなる。

昼食は、100円でご飯、鯖の塩焼き、味噌汁。

アルコールが我慢できなくなり、13時前に帰路につく。途中、コンビニで1本買い、バス亭のベンチで飲む。急速に気分が落ち着く。やはり、アルコール依存症なのだなと思う。

主治医によると、アルコール依存症の末路は決まっていて、激しい鬱になり、自殺するそうだ。私もそうなるのかな。分からない。

帰宅して、もう1本。今日は夕食代がない。まあ、いいか。

地活に電話。明日は連句会なので、来て捌きをして欲しいと言われた。頼まれたら弱いな。私は、けっこう良い人なのだった。

今日は、もう1本飲むだろう。18時半にヘルパーさんが来る。

そういえば、昨日くらいから、会う人毎に「元気そうですね」とか「元気になられましたね」という。自覚はない。もしかして、アルコールの効果か。

私はアルコール依存症なのだろうか。疑問符がある。精神障害者であることに疑問符は無いのにだ。厳しく暑い夏が来る。乗り切らないといけない。

昔、億単位のプロジェクトのマネージャーをしていた人間に、ゴムの成型という作業が出来るだろうか。

比較したら終わりだ。にちぢょうをこなすのだ。新しい世界観を。ああ、もう1本か。

棄損した自我のケア

精神障害者になって変わったこと。自分をとりまく環境の変化と関係性の変化。過去の自我は放棄され、ややもすると投げやりになる。精神科医療には、この棄損した自我のケアをお願いしたいのだが、そんな気の利いた精神科医はいないだろう。

思ったんだ。生活を立て直すより前に、棄損した自我をケアしないといけないってね。何もできない自分、稼げない自分を、どう評価するのか。

変わり果てた環境。周りは障害者と、その支援者ばかりになった。

そして気が付く。ある意味で、そういう場に行く事で自我を傷つけていないだろうかと。幻想に浸れとは言うまい。そうではなく、もっと別の何かがないといけないのだ。医療や福祉では出来ないこと。私はどこまでも貪欲だ。そして、それはきっと良いことだと思う。

課題が見つかった。棄損した自我のケアだ。証明を省略して結論だけ書くと、書くことでしか問題は解決しないのだ。

病状との相談。依存症なのに、また、昼からハイボールを飲んでいる。障害者世界に染まった私。障害者以外の回路はKH氏だけなのだ。

自我をめぐる環境と関係の見直しが必要だ。それにしても、いまごろこの問題に気が付くとは。時間がかかり過ぎだろう。

攻撃性の異常と正常

貧困と障害の当事者研究。障害とは精神障害だ。病名はいろいろと変わってきた。双極性感情障害1型。非定型精神病。統合失調感情障害。病相も複雑だ。説明しやすいのは妄想くらいだ。今日のテーマは攻撃性。躁状態になると攻撃性が出る。暴力沙汰はないが激高したことはある。思わず相手の顔にビールをかけた。あれ、暴力沙汰か。

今日は電話で薬剤師と話をしていて、最近は攻撃性がないと言われた。薬剤師に言われる程に、昔は攻撃性があったのだ。やれ、訴訟を起こすから資料を作ってくれとか。迷惑な客である。結局、訴訟は起こさなかった。

暴力事件はないが、口論になったことは度々ある。つまらないことに、攻撃的になる。嫌な相手だと人格が許せない。そんなこと言われても困るわな。

躁状態による攻撃性は異常に属するだろうが、今のように無気力で攻撃性がまったくないというのが正常かというと、そうは言えない。適度の攻撃性は、正常の範囲で保持すべき性向なのではあるまいか。おいおい、あるまいかって、歳はいくつだ。

今、攻撃性がない理由は、はっきりしている。攻撃力がエネルギーが無いのだ。野球で言えば、球場の更衣室のベッドで横になっていて、入院したいのだがチームドクターに相手にされない感じ。はやく家に帰って寝ろと言われ、車の運転は危険だし、タクシー代はないし、気のいいチームメイトに送ってもらう作戦。ただ、これに失敗すると飲み会に出席することになる。ん。話が脱線したかな。わからん。

私の妄想経験は、誇大妄想、被害妄想、重要人物妄想、追跡妄想、などがあるが、積極的に攻撃的になることはない。攻められていると思って反撃することはある。おい、ヤバいじゃないか。

と、ここまで書いて、今の病状が、人格が消えるように薄くなり、最上級の無気力にあるこの状態が、エネルギー不足であるということに気が付いた。結論は、肉を食べようだ。

病状として、最後に出た攻撃性は去年の4月だ。地活で怒鳴り散らしたらしいが記憶にない。躁状態の極期で意識障害、記憶障害が出ていたのだ。なんだ、20年前から悪化してるんじゃないのか。

主治医は解離性障害を認めないが、前世は犬ですねと言った。別人格は、ワンワンと吠えるからだ。マスコミには漏らさない方が良いですよとも言われた。面白い先生だ。

発病から20年。ポテンシャルが急激に落ちた。回復などしなくて良い。攻撃性もない方が良い。生活するエネルギーがあれば、それで良い。問題は肉だ。

復活はある

ドン底である。もう再起などという意欲はない。日常生活からして、なっていない。永久入院が希望だとか。撤回しよう。今日、N氏と話ていて気が変わった。精神病院は、思ったよりも悲惨な場所のようだ。もう、入院はやめよう。

私の意思とは関係なく、私の周囲には、私の復活を予想している人がすくなくない。これは励みになる。狂っている場合ではないのだ。

どんな復活。まずは、生活を立て直してから。生活を立て直すとは。パンツをかえることだ。歴史に残るパンツ事件のことは書くまい。とにかく、パンツが大事なんだ。人間の根本はパンツにあるのだ。これが、私がドン底で学んだことだ。

狂気。どうなるのかな。妄想くんが一番の問題児。妄想か。最近は川柳で天の句がとれるという妄想があったな。4月の第2土曜日だ。可愛い妄想だが、妄想は可愛くない。妄想は敵だ。

気持ちが萎えている。恋をしないといけない。明日は出会いの場に行く。ワイパックスは無い。少し心配だ。愛しいあのこに会えるだろうか。メニューは、ドライカレーだ。

回復がないと悟ったのが数日前。いまはどうか。分からない。どこか明るさが増した気がする。まだ、暗いけれど。

とにかく発狂はやめよう。入院もなしだ。人生、何が起こるか分からない。大事なのはパンツだ。