対立のDNAには逆らえないという話
遺伝子が解明されると、いろいろなことが分かってくる。スティーブン・ピンカーは、遺伝子と人格特性について、パーソナリティの5つの主要因子を次のように指摘した。
1.「内向的/外交的」
2・「神経質/安定的」
3.「経験に対して開放的/閉鎖的」
4.「調和的/敵対的」
5.「きまじめ/無頓着」
つまり、どんな教育をしたところで、みんな仲良くという訳にはいかないのだ。
政治学的にも、ハーバーマスが主張するような粘り強い対話が成功する可能性は無いのだ。対話が不要だと言っているのではない。対決は不可避なのだ。
私たちに出来るのは、より良い対立を、より良い対決を目指すということであって、すべてを円満に解決するなど、自然科学の問題として不可能なのである。
参考「人間の本性を考える」
正直に言う。私は対立が好きだ。だいたい勝負事の好きな人は対立を好む。それは文化的要因である以上に、遺伝子によって決められているらしい。
政治だろうが、経営だろうが、最後は対決だ。法律や文化はあるが、遺伝子にはそれを無視する性質を持つものもある。だから犯罪が起こるのだ。テロが生まれるのだ。戦争は終わらないのだ。DVがあるのだ。これらは問題ではあるものの、完全に排除することは不可能なのである。
前置きが長くなったが、意味のある対立と無意味な対立がある。今度の参議院選は、どうやら意味のある対立にはならないようだ。争点がナンセンス。ただ街がうるさくなるだけで終わりそうだ。不要論まで出ている参議院である。盛り上がる訳がない。それでも改憲議席数だけは話題になるだろう。誰がどう寝返るかもわからないのに。
そう言えば、10年前に私は「対立の哲学」というエッセイを書いた。本格的な論文を書く意欲はあったのだが、序章だけでやめてしまった。折角なので、リンクを張っておく。
私が言いたいのは、対立を避けましょうということではまったく無く、正しい意味のある対立をしましょうということだ。
また、選挙ネタだが、できもしない景気回復論争などナンセンスなのだ。しかし、マスメディアはそこを争点にする。くだらない。実にくだらない。
正論という奴は面白い。理想も方針も心情も一致しているとしても、立場が違うから意見が分かれるということがある。そこには弱者を騙す連中がたくさんいる。貧困ビジネスは大流行だ。で、結論としては、日本にもそのうち大きな対立が来るだろうし、是非とも来て欲しいということだ。私は、対立ラバーだ。