白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

マーケティングの裏側

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マーケティング。私は大学時代3つのゼミを掛け持ちしていた。本来の会計学のゼミの先生は嫌な顔をしていたが、マーケティングのゼミでも経済学のゼミでも歓迎される客だった。三流大学から一部上場企業に入れたのも、マーケティングのゼミに行っていたからだ。入社試験の問題が、ゼミでやった「企業の人間的側面」だあったからだ。論述は完璧だったと思う。

会社でもICT系だけでなく、マーケティング系とも深く係わった。懐かしい思い出だ。もう、15年前の話だ。

会社をやめてからも、GK流通開発研究室を作ったのだが、1案件数百万単位の仕事だ。結局、2件しか受注できず、2年で撤退した。

その頃、現代思想にはまっていた。この本に強い衝撃を受けた。

「象徴の

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貧困」

スティグレールはこの本で、人間を属性で分類しカテゴライズすることで、独自な存在である個が殺されてしまうという。この本を読んでから、私はマーケティングに嫌悪感を覚えるようになったのだ。

しかしね、今の時代、マーケティングは基本のキでしょ。私もビジネス復帰を目指してマーケティングのノウハウを活用することにした。時間はかかるよ。ニッチしかないよな。チマチマ。ニタニタ。華やかな世界は似合わない。神戸の片隅で鱧の天ぷらを食べるよ。

ささやかな暮らしへ

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冷麺

ささやかな暮らし。それは人によって違う。私は喫茶店でアイスコーヒーを飲んで、タバコが吸えれば良いと言ったら、喫茶店もタバコも贅沢だと言われた。そこら辺の基準は人によって大きく異なる。私は1日2000円以内ならささやかだと思うが、1000円で出来るという人もいる。しかし、それが健康で文化的な生活だろうか。

本も買えない。旅行にも行けない。月1回の贅沢が外食。写真の冷麺は1300円もする。私は転落する前、昼に3000円かけることは珍しくなかった。ああ、そんな生活をしていたから転落したのかな。

神戸市の条例で、近所にタバコの吸える喫茶店がなくなった。タバコは、1日10本だ。

それでも不満はない。ネットがある。81DOJO(将棋)。Facebookカクヨム。このブログ。どれも楽しい。問題は健康面の不安だが、死を怖れてはいない。

「人生とは生きることではない。良く生きることだ」と言ったのはソクラテスだったか。

ささやかな暮らしに満足できれば幸福だ。ただ、ささやかな暮らしにもお金はいる。節約にも限界がある。私は本が買いたい。もっと、ささやかに、。

人間の本性とDNA

10年前、私はこんなブログを書いていた。

 

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引用:例えば、パーソナリティの5つの主要因子は「内向的/外交的」「神経質/安定的」「経験に対して開放的/閉鎖的」「調和的/敵対的」「きまじめ/無頓着」というようにだ。進化心理学の出す答はある意味で残酷だ。それは、貧困や社会的不備がなくとも、対立、レイプ、復讐といった暴力性が人間の本性として存在することを証明してしまう。

 

引用:アメリカではいまだに、このユダヤキリスト教の考えかたが、もっとも一般的な人間本性論である。最近の世論調査によれば、アメリカでは聖書の創世記を信じている人が76パーセント、聖書に書かれている奇跡は実際にあったという人が79パーセント、天使や悪魔やそのほかの無形の存在を信じている人が76%・・・(中略)、ダーウィンの進化理論が地球上の人間の起源をもっともよく説明すると考えている人は15パーセントしかいない。(p.24)

 

そして、私は、この数字を見て眩暈がした。と書いている。

なんでこんな色になるんだ。(涙)

もっとも、今の私はダーウィンの進化論を信じていない。人類は地球由来の生物だとかんがえていない。証拠は「宇宙人会議」で明白だ。

もっとも、ピンカーのDNA理論は正しい。保守的か革新的かを決めるのは、教育ではなくDNAなのだ。

人類が宇宙を目指す理由。それは帰巣本能ではないのか。狂気だろうか。

 

 

 

私と将棋

4DAN

四段免状

私が将棋を覚えたのは、幼稚園の頃だ。鈴木さんという祖父(黒崎幸吉)の書生さんに教わった。なんでも、強かったらしい。

近代将棋」や「将棋世界」を読んで、本格的に将棋を始めたのは、中学3年の時だ。放課後はたいてい、木村君、小林君と一緒だった。神戸市立本山中学である。

大ファンだった「自在流」の内藤先生に年賀状を出したら、返信が来た。それがなんとお年玉の当たりくじ。大切にしていたつもりが、今は無い。その代わり、「図式百番」のサイン本がある。間違いなく遺品になるだろう。

高校は県立芦屋高校に行った。即、将棋部に勧誘され、入部した。先輩には、結城さん、細谷さんというアマ名人戦で県代表になった人もいる。6年先輩の県芦将棋部もT先輩(名前を出すなと言われている)の時代に全国大会に行っている。

部室も広く、盤は桂の4寸盤がずらりと並び、駒は柘植。当然のチェスクロック。私はなかなか強くなれなかったが、2年で部長になった。平野兄弟、山中君、野原君、佐々木君、西田君、私。県大会では、A、B2チームを出し、私がAチームの主将だったのだが、即詰みで負けたと勘違いし投了。結果、山中君、平野兄弟のBチームが山梨で行われた全国大会に行った。1回戦負けだった。顧問の中嶋先生は激怒していたそうな。

なお、名誉のために言うと平野三兄弟は強豪として有名で、全員県芦。なお、平野登志雄三男の時代には、全国大会の団体戦で準優勝している。

神戸新聞で、アマ名人戦地区予選のアルバイトをしていた私は、兵庫県高校将棋連盟を発足させた。事務から何まで自分でやった。第1回大会は、県立芦屋高校で行われた。参加三十数校だった。将棋倶楽部には棋譜が、近代将棋にはエッセイが載った。早熟だったのかもしれない。

自慢話はこの辺にしておこう。私が強くなったのは、大学時代だ。町田将棋センターの川嶋席主と懇意になった。歳は一回り上だ。今も交流がある。

ここには渋谷守生アマ八段(都会議員)や、真剣師が集まっていた。プロの依田先生とは特に懇意にしていただいた。「黒ちゃんと角落ちじゃ、指す気がしないね」といわれたのは嬉しかった。額面通りに受け止めたのだ。

会社員になってからは、今は無くなった渋谷の道場に通った。大阪に転勤になってからは、十三棋道館道場に通った。そこで、自分の弱さを知った。

いまは、十三に行くお金も無く、81DOJOで指している。しかし、つまらない。

ボット(AI)が登場してから、将棋は勝ち負けだけを決めるゲームになってしまったようだ。「棋は対話」と昔は言っていた。棋風があり、対話があり、遊びがあった。

もちろん真剣勝負だ。しかし、勝利を優先すると個性を壊すことにもなる。

私は朝の4時前後に外国人と指すのが好きだ。英語でチャットする文化交流。時には濃い感想戦。日本人の多くは会話もせず、感想戦もせず、勝負が終わると去って行く。

歳のせいだろうか。将棋に対して闘争心が湧かなくなっている。やはり、目標が必要か。将棋世界を定期購読しようか。それしか良いか。