18.生態人類学から見た未来予測
「ヒトはなぜヒトを食べたか」の筆者であるマーヴィン・ハリスが生態人類学の創始者なのかどうかは知らない。この本は石器時代から資本主義までを俯瞰した、詳細な研究と非凡な思考の結晶であり、発売当初は欧米でベストセラーとなった生態人類学の金字塔だという。筆者は、自由意志や道徳的選択は、社会生活の体系が進化してきた方向に対して、事実上何の重大な影響も与えてこなかったと主張する。問題なのは、再生産の圧力、生産の強化、環境資源の枯渇こそが、家族組織、財産関係、政治経済、などの進化を理解する鍵となるというのだ。 本書ではこのような観点から、農耕の起源や、戦争の起源、国家の起源、資本主義の起源などが鮮やかに説明される。
筆者は自由意志による進化を否定しているのではない。そうではなく、文化の科学を無視した自由意志はナンセンスだといっているのだ。そして、現在は生産様式が限界に達し新しい生産様式がすぐに採用されなければならない時期だと筆者はいう。
繰り返す。社会生活の体系の進化に対して自由意思(思想)だけで変革を行おうとする発想は意味が無いのみならず危険である。重要なのは、再生産の圧力、生産の強化、環境資源の枯渇がどのように変化するかを予測することだ。これらの変化こそが、家族組織、財産関係、政治経済、などの進化を決定する鍵となる。
最近ではBOP(ピラミッドの底辺、貧困層市場)が注目されている。エコノミストの水野和夫氏は、もはや地球上から搾取できる部分がなくなってしまったのだから、成長を基礎とした資本主義は終焉を迎えるだろうと言う。
おそらくその通りなのだが、重要な事は「経済成長」こそが、社会に方向性と緊張感と秩序をもたらしてきたという事実だ。これを「社会的誘引力」と呼ぶことにしよう。
現代文明は、ひとことで言うと「過剰」である。もはや生産を強化する必要性はない。それどころか、働けば働くほどインプットは増え、収穫は逓減し生産性が低下する。
従来は、供給を増やせば必然的に需要がそれを追いかけた。しかし、現在の世界は違う。より重要なことは、生産性を上げることではなく、いかに「分配」すれば良いのかという考え方やルール、制度を確立することにある。
一つにはワークシェアリングと言う考え方があるが、それが可能なのは賃金の低い単純労働だろうから、相対的貧困と格差という問題が発生する。それ以上に、さらなる技術革新は、ワークシェアリングの対象となる労働のパイをシュリンクさせることだろう。ワークシェアリングでは本質的な問題は解決できない。
フラット化した世界の中で、これからどのような変化が起こるのか。
以下、私の予測を簡単に整理してみよう。
<先進国>
1.雇用創出という政策は成功しない。就労人口は減少する。
2.プレカリティが社会問題となる。
※プレカリティ:雇用と生活の不安定な状態。
<BRICs+ネクスト・イレブン>
1.高度経済成長の道を進む。
2.やがて(20年以内に)先進国と同じ状況に陥る。
<資源のある国>
1.先進国との間に政治的衝突が起きる。
2.政府系ファンドが世界を席巻し、リスク(火種)となる。
<貧困国>
1.外国の支援に頼らない政治、経済へと舵を切る。
さて、次に対立軸を見て行こう。
1.成果に応じた格差を容認/公平と平等を志向
2.国家主義/世界政府志向
3.グローバリズム/反グローバリズム
4.成長志向/循環志向
5.現在志向/未来志向
6.環境重視/経済発展重視
7.福祉的雇用主義/反雇用主義(ベーシック・インカム等)
8.保守主義/反保守主義
・・・等だろうか。
豊かさの中での貧困の増加が、社会を不安定化させる事は間違いない。民主主義国家における貧困や格差の拡大は、必然的に社会主義的傾向を持つ政府へと繋がるだろう。ここで言う社会主義的傾向とは福祉国家であり、再配分の大きい、いわゆる大きい政府である。
一方で、現在の勝ち組は既得権を失いたくはない。あらゆる力を使って、既存の資本主義システム(特に金融)を維持したいだろう。そこで発案されたのが、環境ビジネスであり、BOPだ。ただ、彼らも先進国での雇用主義が限界にきていることは認識している。故に、反福祉的ベーシック・インカムを推奨して、それを究極かつ公正な「正義の福祉」だと主張するのである。これは、明らかに策略だと考えられる。
とりあえず私の思うところをまとめておこう。
1.格差社会ではなく、以下のような多極化社会になる。
a.超ノマド層(世界で活躍するエリート)
b.自由層(芸術家、個人事業主、大学教授等)
c.一般労働者(被雇用者)
d.経営者(個人事業主を含む)
e.有閑階級(資産家)
f.その他(パラサイト、アウトサイダー等)
※これらを収入や資産で序列化したり比較することは無意味だ。生き方や考え方、価値観の問題なのだから。
2.勤労に対する態度の変化、多様化、対立
これが一番やっかいだ。働かざるもの食うべからず。福祉は悪と主張する人もいる。やりたい事=仕事、やらされる事=労働、という二分法もある。働き過ぎを美徳とする人がいる。一方で、労働は1日4時間以内が適正だという人もいる。
※最も大きな政治的、経済的対立軸は、ここだろう。
3.新しい誘因力
私は「経済成長」に代わる「新しい社会的誘因力」について、長年にわたり考えてきた。いや、正しくは考えあぐねてきた。そして、ここに来て少し光が見えてきたように思う。それは、新しいコミュニティの創出と自立だ。もはや、政府や大企業に頼ることは出来ないという覚悟。それは、家族や地域だけではない、まったく別種のコミュニティになるように思われる。例えば、webでの出会いがネットワークになり、ハウスシェアリングがはじまり、そういう地域が出てくるかもしれない。家族を核とした世帯という概念は時代遅れなものとなる。そして、新しいライフスタイルが生まれるだろう。
新しいスタイルの生産様式、生活様式を統導する思想は何だろうか。ひとことで言えば「(コミュニティ単位での)自立循環」だ。そして、複数のコミュニティを繋ぐ新しいネットワークだ。
やがて政府はこう宣言するだろう。「政府に頼るな。コミュニティを創り、自立せよ。」(笑)