白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

貧困と障害の当事者研究の終わりに

貧困と障害。それは、2012年から始まった。公務員の某氏に主体性を略奪されえ、障害年金障害者手帳を取得した。そこからは、すべり台社会よろしく、2014年に警察に保護され入院。環境調整という美名のもとで、離婚、転居。そして、2015年に自己破産した。貧困の始まりである。

それでも、生活保護になったのは、2017年の11月だ。まだ、2年と経っていない。日本の福祉の精緻さを学んだ2年だった。まるで人類学者のフィールドワーク。しかし、それも終わりの時を迎えた。保護廃止が決定的になったのだ。

これで、貧困の当事者研究は終わる。障害の当事者研究は当分続くだろうが、それもいつか終わるかもしれない。

「精神科は今日も、やりたい放題」という内海聡氏の著書がある。

精神科は今日も、やりたい放題 医者が教える、過激ながらも大切な話 (PHP文庫)

概ね納得できるのだが、「本物は3000分の1の統合失調」は言い過ぎだと思う。それもこれも、精神病理の時代と言われながら、精神病理学の冬の時代という現実があるのだろう。精神科の市場拡大。それは実に恐ろしい。

「本物の躁うつ病とはどんなものか?」という節がある。私は本物の躁うつ病に該当する。精神病ではない9割以上の精神障害者とは異なり、私は本物の精神障害者なのだ。その私が、障害者からの脱出を考える不思議。そこには重大な理由がある。

政府は精神障害者を増やすことで、医療利権を作るだけでなく、安価な労働力を大量に作ることに成功している。そして、手厚い福祉とともに、障害者と貧困をセットにして考えることを常識にしてしまった。豊かな障害者はレアケースなのだと。

私は貧困から脱出するにあたって、一時的な勤労を覚悟することにした。サラリーマンという生き方を否定し、フリーランスになったのが、2011年。インディペンデントとは依存しないという意味だが、私は政府に依存した。現代ではフリーランスと言えども社会に依存している。根源的なインデペンデントは政府にも依存しない大きな存在であったことを思うと、依存しないことに拘ることは愚かだと知った。

3度目の結婚はしないだろう。私は今の利便性の良いところにある、1Kのマンションが気に入っているからだ。もう、富裕層になることに興味はない。ささやかな暮らしがあれば、それでよい。今、58歳。無事、還暦を迎え、可愛いお爺さんになることが目標だ。

もう、貧困の当事者研究は終わりにする。私が貧困だなどというと怒られる。さらば貧困。私の中の大きな変化。令和という時代が素晴らしい時代になることを願って、研究所を再起動させよう。ゆっくりと急げ。