白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

一般世界の原理、障害者世界の原理

一般世界あるいは表の世界。障害者の親は、一度は一般世界で輝いて欲しいと願うものらしい。一般世界は豊かで、障害者世界は貧しい。一般世界は魅力に溢れているかのようだ。私は50歳まで一般世界で生きてきた。障害者世界を知らずに生きてきた。51歳で障害者になり、訪問看護やヘルパーさんが入り、地域活動支援センターに通い、就労継続支援B型に通った。これらは障害者世界だ。
いま、政府は障害者雇用に躍起だが、こういうモデルそのものが福祉の勘違いだと思う。あるいは利権だ。
障害者が一般世界の原理の中で生産性を発揮し平均的な賃金を得られるだろうか。企業には障害者を雇用するコストも発生する。もちろん助成金という蜜もある。障害者雇用を美化することの意味。それを噛みしめて考える必要がある。
善意。障害者も頑張れば素晴らしい一般世界で活躍できますよ。その門戸はある。しかし、それが出来るのは、コンマ数パーセントの障害者だ。
一般の障害者が望むのは、ケアされながら日常をこなすことであり、そういう仲間の居場所だ。障害者世界には障害者世界の原理がある。それは、一般世界とはまるで違うものだ。
何が言いたいのか。一つには障害者を一般世界に煽らないで欲しい。もう一つは、障害者世界の原理に即した障害者のための居場所や施策を増やして欲しい。
障害者の目標は一般世界でなくても良いし、就労でなくてもいい。障害を抱えながら日々をこなすこと。それが障害者の仕事なのだ。
上昇志向の福祉政策は滑稽だ。間違っても、障害者を安価な労働力として活用しようと思ってはいけない。目指すのは輝ける障害者世界だ。それは一般世界とは異質なものになるだろう。包摂は理念としては素晴らしいが現実的でない。
世界の原理が違うのだ。分離しようというのでもない。お互いの長所を学べばいいのだ。そして、差異を認め、理解し合うことだ。そのとき、新しい福祉の地平が開けるだろう。