白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

グローバル階級の誕生と民族意識

グローバリゼーションは、17世紀に登場した「国民国家」(30年戦争を起源とする説)という装置を破壊するのではないか。もちろん、100年単位での話だが、すでに近代国際秩序の玉座にいた国民国家なるものは末期的な徴候を見せている。現在の液状化した国際情勢の背景にあるものを考えるならば、そこには国民国家という装置が崩壊する理由、必然的な理由をいくつも発見できるのだ。

 

グローバリゼーションが破壊したもの。それは経済的、文化的な面での国境という壁、地理的な制約だ。通信技術の革新、インターネットの誕生と隆盛で世界の様相は変わったのだいう。多くの人が経済問題、経済格差などにフォーカスして議論しているが、私はアイデンティティの変化に注目する。

 

グローバリゼーションは、従来は支配階級や特権階級に限られていた国境を越えた階級意識に風穴を開けたのだ。学者や知識人、アーティストなどだけではなく、産業社会における色々な専門職や同業者の間に、グローバルな階級意識とも言えるものを生み出した。彼らは特殊な知識や情報、さらにはパラダイムなどを共有するだけでなく、強い利害関係を持っている。そのため、そこには競争や協調はもちろん、強い仲間意識が生まれてくる。これが、グローバリゼーションにおける新しい階級の誕生だ。

 

しかし、すべての人がグローバルな階級に所属できるかというとそうではない。あくまでも特殊な技能や知識、そしてコミュニケーション能力が必要なのであって、それは決して低いハードルではない。

 

グローバルな階級に所属している人にとってのアイデンティティはプロフェッショナルであるということに尽きる。どこに住んでいるか、国籍はどこか、などは大きな問題ではない。その階級で自らがどういう位置にいるかこそが重要なのだ。

 

逆に、グローバルな階級に所属できない人においては、アイデンティティの核(コア)を見つけることが困難になる。経済格差は拡大するのだから、グローバルな階級に所属できない人が貧しくなるのは必然だ。学歴、資産、血筋などの社会的要素に有意性を持たない人が、国家や民族だけが一筋の光となることには何の不思議もない。

 

このような状況の中で、グローバルな階級に属する人と、属さない人の国家に対する意識、考え方、感じ方はまったく異なったものになる。これは、善悪の問題ではなく、現実を説明しているだけのことだ。前者はどこの国に住むかを選択できるが、後者に選択肢はない。そして、このギャップを埋めるようなアイデアは、いまのところどこにもない。

 

これこそが、新しい南北問題だと言えるだろう。グローバル時代の国民国家は、何を考え、何をするべきなのか。これを真剣に突きつめて考えると、国民国家という装置の基底にぶつかる。通貨は特に重要だ。電子マネーはどの国にとっても脅威だろうし、そのうち1国2通貨、3通貨が当たり前になるかもしれない。

 

通貨とは信用だ。日本の中に、日本円、自民党円、民主党円、共産党円、経団連円などができると面白と思うのは不謹慎だろうか。しかし、地域通貨より階級通貨の方が遥かに普及するような?